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詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

胃癌で闘病中の母が亡くなりました、享年六五歳でした

 

 学校の授業参観で着るような高い服を着て、カツラつけ、化粧をした母が、自分の足で、颯爽と病院を出て、私の車に乗り、入院中、お世話になった人たちの家に立ち寄り、お礼を言う・・・深夜、自宅でそんな夢を見ていた私のスマホに、病院にいた父から、一本の連絡が入りました。

 

「お母さんが危ない。今すぐ、亡くなってもおかしくない。取り敢えず、生きているうちに・・・朝になったら、何人かの親戚を呼ぶつもり。悪いけど、祖母さんのこともあるから、お前は家に居て欲しい」

 

 私は「分かった」と、父の頼みを了承しました。

 

 親の死に目に会えない・・・とはいえ、私は、母の死の直前まで、かなり頻繁に病院へ行き、傍で看護をしていたので、母の最期を見届けることが出来るかどうかに関しては、特にこだわりはありませんでした。

 

 むしろ、病院へ行き、母が死ぬのを待つのは、こちらの都合で、死を急かしている感じがしたので、私は家で、祖母と留守番をする方で良かったと思いました。

 

 私が前日に会った母は、熱があり、血圧は安定せず、左目が半開きになり、白目が黄色く濁り、腹水も膨らみ、両足もむくみ、少量の尿には、血が混じっていました。

 

 それは典型的な末期癌患者の最期の状態だったようで、一緒にいた妹は、ある看護師から、「残念ですが、いつ、まさかがあってもおかしくない感じです。なるべくなら、帰らないで、傍で看ていてあげてください」と忠告されたそうです。

 

 深夜の父の電話から、数時間が経ち、朝になり、そこから更に数時間が経ち、午後になっていましたが、私はその間、何をしていたのか?よく覚えていません。父だったか、妹だったか、電話が一本あり、「苦しそうだが、まだ、大丈夫そう」と、その時の母の容体を聞いたことだけは、ぼんやり記憶しているのですが・・・。

 

 家に来ていた親戚の何人かが、私に病院へ行くことを勧めました。

 

 私はすでに、母とは、納得のいくお別れをしたつもりでいたので、あまり気が進みませんでしたが、「死に逝く母を看取ろうとしない非常識な息子」という周囲の圧迫に耐えかね、自分で車を運転して、母のいる病院へ向かいました。

 

 車の中では、母との思い出、というより、私の親不孝の駄目息子ぶりを思いながら、ずっと泣いていました。

 

 あと、どういう心理かは分からないのですが、母の死に、間に合わない方がいい、という気分になっていました。

 

 会わせる顔がない、ということなのかも知れません。

 

 

 五十分後、私は病院に到着しました。そして、駐車場を出た頃には、涙も止まったので、顔をウェットティッシュで拭いて、マスクをし、病院の建物の中に入りました。

 

 病室には、兄と妹、何人かの見舞い客がいました。

 

 母は、肩で息をして、とても苦しそうでしたが、痛みはないようでした。時折、呻き声のようなものを上げました。しばらくすると、その呻き声は、呼吸する度、聞こえるようになりました。

 

 何度か、「お母さん!」などと呼びかけましたが、ほぼ、無反応でした。つい三日前は、スマホの音楽アプリを使い、母の好きな曲をかけると、リズムをとったり、マイクを持つようなポーズをしたり、指揮者がタクトを振るようなしぐさをしたのに、今は、何をやっても無反応です。

 

 母はただ、ひたすら、大きく口を開けて、呼吸をし続けるだけです。それはゴールのない(報われることのない)、死というリタイアを待つだけの、残酷なマラソンレースのように、私には見えました。

 

 そしてこのレースは、母が危篤状態となった、その日の日付けが替わるまで、終わりませんでした。

 

 平成二十九年四月十一日、午前十二時十五分、母は永眠しました。享年六五歳でした。

 

 今回、入院してからの約半月、母はその大部分が、痛み、苦しみ、不安との戦いでした。それは私が見届けた、最期の最期まで、そうでした。

 

 しかし、医師が死を確認した直後の、母の顔をふと見たら、さっき見た時とは一変し、ほのかな笑顔となっていました。口を大きく開けたまま、固まった感じも、まるで勝者が、喜びの声を上げているかのようです。

 

 

 今回の入院前、自宅のベッドの上、痛みで苦しむ母の腹部を擦りながら、私は、こんな話を母から聞いていました。

 

「人は死んだら、どうなるんだろうね?死んだ人に会えたりするのかね?会えるんだったら、私は、父ちゃんと母ちゃんに会いたい。こんな酷い痛みを背負って生きていくより、いっそ死んで、早く、父ちゃんと母ちゃんに会いたい!」

 

 私には、あの世の事情のことなんて、全く想像もつきませんが、ずっと苦痛の表情をしていた母の顔が、急に笑顔になったのは、何度も繰り返された呻き声が、永遠の喜びの声に変わったのは、あの世で母が、母の両親からの出迎えでも受けたからではないか?

 

 私は、そう信じています。