詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

オリラジ・中田敦彦の「松本さんには謝りません!」宣言は、甘えか?思い上がりか?それとも・・・?


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  脳科学者の茂木健一郎氏の「日本のお笑い、終ってる」、「テレビの地上波、終ってる」発言から始まった、一連の騒動は、茂木氏の「言い過ぎました、配慮が足りませんでした、よって、誤解されてしまいました、申し訳ありませんでした」的な、テレビ番組出演時の全面降伏宣言により、一応の決着はついたかと思われましたが、これを切っ掛けに、今度は、オリエンタルラジオ中田敦彦を主人公とする、スピンオフ・ドラマが始まったようです。

 

 オリラジ・中田は、茂木氏の発言のいくつかに賛同し、自身のブログで、このような趣旨の意見を述べています。

 

「日本のお笑い番組が、看板の司会者を中心に据え、スタッフも含め、周囲が空気を読みながら、成り立っていくものが多いことは、事実だと思う」

 

「いち大御所が、面白いか否かを決めている、笑いの価値(階級)を決めている、よって、若い芸人が活躍しにくい状況となっている」

 

「一見、若い芸人のための賞レースも、審査員の大御所たちの笑いの価値観に、組み込まれていくだけのように思える」

 

「日本のお笑いに、思想性・政治性のあるネタは少ない。また、そういう時事ネタをやっている芸人も、その芸人を扱うテレビ局も、ある種の規制から、逃れられない印象がある。その空気を読んで、それぞれが自主規制してしまっている」

 

「ある番組(ワイドナショー?)で、ある大御所芸人(松本人志?)に、茂木氏が『センスがない』と決めつけられ、公開処刑のようになっていた。これはまさに、茂木氏の言っていた通りの状況では?」

 

 この他にも、「オワコンというワードセンスについて」、「四十代以上の芸人の、テレビにおける影響力の強さについて」などにも、オリラジ・中田は、ブログで触れています。

 

 で、今回、何が騒動になっているかという話を、遅ればせながらしますが、オリラジ・中田の「茂木健一郎、支持・擁護論」の中に、事務所(吉本興業)の先輩である松本人志を、揶揄するような表現があったことについて、社長を始め、その他の社員や友人が、謝罪を促したところ、オリラジ・中田は、それを突っぱねたうえ、ラジオでその経緯を暴露してしまい、今、ネットニュースなどで、ちょっとした話題になっているという訳です。

 

 尤も、こんな話、オリラジ・中田自身が言っている通り、「吉本内部の騒ぎであって、別に世間は、騒いでいない」のかも知れませんが・・・。

 

 

 今回の騒動、私には・・・公衆の面前で、弱い方(中田)が、強い方(松本)に対して、この状況なら、自分が殴られはしないことを分かっていながら、「殴りたかったら、どうぞ、殴ってください。僕は、そんなこと、恐れたりしない」と、パフォーマンスをさせてもらっている、甘えの構図にしか見えません。

 

 そうでなければ、松本人志に限らず、日本のテレビに君臨する大御所芸人たちに、「お笑いでは負けても、議論なら勝てるかも?」、「国内では負けても、外国に出て戦えば、勝てるかも?」と、オリラジ・中田に、思い上がっているところが(ある種の勘違いも含めて)あるのかな?と、私には映りました。

 

 そもそも、オリラジ・中田が、茂木氏を擁護してみたのも、絶対的な支持者・理解者だからというより、多数派(日本のお笑い支持)対少数派(茂木氏支持)の図式を見て、「少数派に入って、状況を逆転させることに成功したら、快感じゃない?」という、自分が頭良いと思い込んでいる人間にありがちな、ゲーム感覚の論争に挑んでいる印象で・・・やはり、思い上がりかと・・・。

 

 お笑いビッグ3や、とんねるずダウンタウン世代、更に、ここから、直接影響を受けた世代が、強過ぎるから、年齢35前後、30前後、更に下の世代の芸人にチャンスがない、その影響を拒む自由がない、というのも、彼の甘えた思い込みでしょう。

 

 逆に、35歳以下の比較的若い芸人に、テレビ局のプロデューサーが、「ゴールデンタイムに、斬新さを求めた自由なコンセプトで、一時間番組やってもいいよ、政治風刺とかやっても、面白ければ、ちゃんと守ってやるよ」と言ってくれた時に、既に準備が出来ている若手芸人なんて、ほぼいない気がします。オリエンタルラジオも含めて・・・。

 

 また、テレビにおける、お笑いの価値を決めているのは、大御所芸人でも、テレビ局の偉い人でもなく、間違いなく大衆(視聴率)なのではないでしょうか?それを、そうじゃないと思っているところが、大衆をみくびっているという意味で、やはり、思い上がりかと・・・。

 

 茂木氏が出演した、ワイドナショーしくじり先生)が、一部の視聴者に、彼の公開処刑に見えた・・・その最大の原因は、茂木氏が、一切、反論を(すればいいのに)しなかったうえ、疑問を投げかけることもなければ、質問すらせずに、「僕は日本のお笑い好きなんですよ。それなのに、こんな結果になっちゃって、まいったなあ、アハハ」みたいな態度を取り続けたせいであって、それを番組側に問題がある(まるで、いじめ)とやるのは、オカド違いというものです。

 

 

 そう言えば、オリラジ・中田のブログに、「弱い立場の人間が、自分で主導権を握って、好きなこと、今だから、言えることを語る。強者に対して、無駄に空気を読む必要がない。それが『しくじり先生』という番組です」 という趣旨の話があったので、それについて、反論してみたいと思います。

 

 しくじり先生に出演する有名人の大半は、自分で30分なら30分、1時間なら1時間の、授業の構成や展開を考えられるタイプの人物とは思えず、実際、授業内容の主導権を握っているのは、ディレクターや放送作家でしょう。

 

 そして、この番組は「私はしくじり先生(失敗者)です」と認めることで、初めて自分の話をするチャンスをもらう訳で、弱者に優しいどころか、ある意味、とても残酷な番組だと言えます。教訓的であると同時に、見世物的な面があることも、否定出来ないですし・・・。

 

 確か、オリラジ・中田は、この番組のスペシャル時の企画で、何度か、世界の偉人を紹介するコーナーをやっていたと記憶しています。

 

 ま、オリラジ・中田に限らず、誰がやったとしても、九割以上、昔から言われていたことの繰り返しになるだけで、驚きの新事実も、大した新解釈もないのは、仕方ありません。

 

 ですから、私が問題にしたいのは、こんな点ではなく、中田先生の、この偉人伝コーナーが始まると、生徒たちがみんなで、彼を気持ち良く持ち上げてやる点についてです。

 

 伊集院光とか、石原良純とか、オードリー若林とか、インテリか否かで分ければ、間違いなく、インテリに入るような人たちからすれば、「オレ、その話、知ってるけどね」と思っている時も少なくないでしょうが、知らないテイで、中田先生の授業を邪魔しないように、みんな、精一杯、盛り上げてくれる訳です・・・まさに、その場の空気を読んで、中田先生のためにというより、番組全体のために!

 

 つまり、しくじり先生って、オリラジ・中田が言うような、立場の弱い人間に対して、優しいのそうでないの、という番組ではないと思います。日本的か否かで言えば、かなり日本的な番組ですし・・・出演者のチームプレーの多さでいっても、調子に乗ってるヤツは、必ず駄目になる、というパターンの教訓の多さからいっても・・・。

 

 

 で、最後になりますが、オリラジ・中田は、松本人志に対して、謝るべきかどうかですが、「誰かが誰かを揶揄するという話は、芸人同士に限らず、誰もがどこかでやっていることであって、それをイチイチ謝罪しなきゃ駄目なの?」と思うと同時に、「結果的に、松本さんをダシにするようなことをして、スミマセンでした」と、ひとこと言ったところで、別に恥ずかしいことではない気がします。

  

「どないやねん」って?

 

 正直、どうでもいいんですよ、他人のイザコザなんて・・・こんな長文書いておいて、今更なんですけど・・・。