詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

ひよっこ、「向島電機・乙女寮編」の感想と疑問です


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 NHK・朝の連続テレビ小説「ひよっこ」の、第二部といえる「向島電機・乙女寮編(25話~54話)」の感想と疑問です。

 

 まず、第一部といえる「奥茨城村編(1話~24話)」との共通点ですが、「一週目の、キャラ紹介を軸にしたエピソード構成は、間違いなく成功している(その割に、視聴率には反映されない)」、「ゆっくりだった時間の流れが、急に季節ごと飛ぶ」、「主人公が動くというよりは、仲間で動くことが多い」、「始めに事件ありきではなく、人と人との絡み(会話)が、エピソードになるという、脚本家の傾向」、「悪い人が出てこない(茨城を出ても、ユートピア設定のまま)」、「エキストラに全く個がなく、主要キャラについて回る、群集でしかない」、「暗くなる話、クサくなる話、必ず、笑いが挟まれる」、「別れと新たな旅立ちが、クライマックスになる」、「あと二週くらいあっても良さそうなのに、ファンに名残惜しさを感じさせつつ、終了する」、「大きく分類すると、男は、頼りないか、つまらない(真面目)の二種類しかいない」、「男女は抱き合わない、女同士ですぐ抱き合う」、「おどうさん・・・と言わない日のない、みね子」といったところでしょうか?

 

 逆に、第一部と第二部の違う点(変化)は、「主要キャラが、3人(みね子・時子・三男)+アルファーから、6人(みね子・時子・幸子・優子・豊子・澄子)+アルファーになっため、主人公・みね子の存在感が半減した」、「働き出したみね子に、買い物をするという選択肢が出来た(ゆえに、彼女の給料の使い途が、度々、ネット上の論争に!)」、「みね子に、綿引という、恋愛対象(候補)が出来た」、「終盤、大きいエピソードが連続してあった」くらいしか、思いつきません。

 

 つまり、ひよっこは、良かれ悪しかれ、第一部と第二部で、茨城(農村)から、東京(都市)へと舞台が変わっても、その雰囲気やパターンに、大きな変化はないように思えます。

 

 このドラマに漂い続ける、岡田脚本特有の乙女感も、若い娘たちのキャスト投入で、その濃度が上がることはあっても、下がることはなかったと、断言します。

 

 そのため、好きな人は好きなまま、嫌いな人は嫌いなまま、第一部は好きだったんだけど、第二部はイマイチ(あるいは、その逆)みたいな反応は、意外と少なかったのではないでしょうか?実際、視聴率も、地味に上がっただけのようですし・・・。

 

 
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 話は変わって、私が、この第二部で感じた、疑問の方ですが、「みね子の月の生活費・千円ってどうなの?」 、「失踪した実の目撃情報ひとつで、あのバタバタ感はない」、「澄子が消えた理由の納得し難い感じ」、「茨城トリオの銀ブラの省略」、「乙女寮の6人+高島・綿引で行った、映画と海の、移動シーンなし(8人乗りの車は何?)」、「乙女たちの水着シーンが、あるように匂わす詐欺」、「一体、何をして怪我したのか分からない、手抜き設定の綿引の父親」、「乙女寮の6人が行った、夜の浅草の省略」、「高島に、幸子へのプロポーズを促す、優子の脅迫」、「高島は、学歴も実績も、何もないのに、何故、音楽講師になれた?」、「唐突過ぎる向島電機の倒産」、「もっと、唐突な、豊子の籠城事件」などがあります。

 

 私は、ひよっこのファンで、毎朝、「面白い!」と思って観ているのに、結構、疑問というか、違和感ってあるものですね・・・きっと、「完璧なドラマなんてない」、というだけのことなんでしょうけど・・・。