詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

ひよっこの第72話、戦争の話が語られることを期待されるような、ドラマでしたっけ?


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 NHK・朝の連続テレビ小説ひよっこ」の第72話は、すずふり亭の、鈴子の孫、省吾の娘である由香が、アプレになった(グレた)原因が、バーでの省吾とみね子の会話、すずふり亭の裏のスペースでの、鈴子と一郎の会話の中で、明らかになります。

 

 由香がアプレ化した原因をまとめると、日本の戦後・復興期、空襲で焼けてしまった、すずふり亭復活のために、鈴子も、省吾も、その妻・節子も、懸命に働いた、そんな中、節子が、今で言う過労で死んでしまった・・・由香は、その責任が、自分の父と祖母にあると思い込んだまま、今に至っているらしいのですが、散々、ドラマ等で使い古された、ありきたりな理由のうえに、まだ、鈴子と節子の関係がどうだったのかも分からない(回想シーンひとつない)ので、何の説得力もなく、何故、こんな話を、このタイミングで放り込んできたのか、理解不能です。

 

 由香が、「実は良い人」、「実は可哀想な人」と、みね子や視聴者に伝えるのは、もっと先の方が(とにかく、由香は嫌な人、と徹底してからの方が)良かったはず・・・。

 

 理解不能と言えば、鈴子の戦中・戦後批判、現代日本風刺みたいなものも、それと自分の嫁の死、孫のアプレ化が、繋がっているかのような論理の飛躍も、鈴子の独りよがりな愚痴にしか、聞こえなかったです。

 

 みね子が皿を割った時に語られた、省吾の軍隊経験の話もそうでしたが、ひよっこでの戦争の話は、まさに「話だけ」だから、やろうと思ったら、どのシーンにも放り込めるので、脚本家は違和感なく入れたつもりでも、視聴者には、唐突に感じるケースが多い気がします。

 

  そもそも、戦争の悲惨さであったり、人間の暗部であったり、政治風刺・社会風刺・現代風刺みたいなものは、脚本家の岡田恵和氏の、本当に書きたいものなのでしょうか?

 

 こういうものを折り込まないと、評価されないから、「甘い、軽い」と批判されるから、ノルマとして、入れているだけのような気がします。

 

「人間の、そして、その時代の暗部を描かなければ、二流・三流の作品にしかならない」といった、三流以下の批評家たちの意見を気にして・・・。

 

 逆に、戦争(日本の戦前・戦中・戦後の復興)について、本気で書きたいことがあって、この程度の内容では、「いい歳して、もう少し、気が利いたこと書けないの?」と、素人に生意気言われても、仕方ないと思います。

 

 ひよっこのことを、「ただの日常」、「ただのコント」、「ただのファンタジー」と揶揄する人たちもいますが、「日常・ファンタジー・コント」なんて、「ただの」ではなく、「ただならぬ」ドラマの証明だと思います。

 

 戦争の話は、NHKの朝ドラも含めて、世界中で皆が、映像で描いています。しかし、「日常・ファンタジー・コント」を描こうと挑戦しているのは、おそらく、世界で「ひよっこ(岡田氏)」だけでしょう。

 

 出来ることなら、脚本家の岡田氏には、自分が書きたい訳ではないもの、得意ではないものを書いて、「ありきたり、イマイチ」と批判されるよりも、自分が書きたいもの、得意なものを書いて、「過去の自分の作品の焼き直し」と、批判される道を選んで欲しいものです。

 

 そして、昔からの岡田脚本ファンに、「○○と似てるけど、質自体は、ひよっこの方が上」と評価してもらうことこそ、このドラマの成功に、繋がるのではないでしょうか?