詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

ひよっこ「このドラマに突っ込みどころが多いのは、アンチも視聴に巻き込んでいくための計算?」


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 NHK・朝の連続テレビ小説ひよっこ」は、重箱の隅をつつくタイプの、小さな突っ込みどころに限らず、「単純に、ミスですよね?」というタイプの、大きな突っ込みどころも少なくないのが特徴ですが、もし、このことが、脚本家の岡田恵和氏による、確信犯的行為(話題作りを狙ったもの)だとしたら、私のようなブログのレビュアーは、彼の掌の上で、踊らされていることになりますが・・・おそらく残念ながら、ベテラン脚本家にありがちな、「天然によるミス」でしかないような気がします。

 

 最近のひよっこの、大きな突っ込みどころと言えば、何と言っても、綿引がみね子に語った、「実がひったくりに遭い、仕送りの金を奪われたうえ、棒で頭を殴られ、その後、消えてしまった話」に、その被害者が実であると確定する根拠がないまま、再現シーンを放送し、視聴者に対して、「これは事実のテイでお願いします」と、やってしまったところでしょう。

 

 この事件が起きたのが、今から1~2年前ということは、実の話とは無関係に、犯人は、何らかの別の罪を犯して、逮捕され、警察で取り調べを受けていた時に、余罪として判明したということなんでしょうが・・・犯人が、実の盗られた鞄でも、戦利品として使っていた(そこには、中の目立たないところに、彼の名前が書かれていた)というような、つまり、何らかの実の持ち物を、犯人が所持しているという設定が必要だったはずなのに、「再現シーンがあるんだから、言わんとしていることは、分かるでしょ?」という、脚本家の岡田氏の態度は、ネット等で突っ込まれて、当然だと、私は思います。

 

 私だったら、1~2年の時を経て、自分の生活を立て直した犯人が、改心し、谷田部家に、実の鞄を小包で送り返す(鞄の中に、美代子宛ての葉書があって、住所も分かっていた)、小包には、犯人の事情説明と反省の手紙もあり、ここで、例の再現シーンが流れるという形の方が、「ひったくりさえも、根っからの悪人ではない」という、ひよっこの世界観に相応しいエピソードになったと思うのですが、どうでしょう?

 

 綿引を登場させたかったから、それではいけない?美代子かみね子が、実を殴って金を奪った犯人から、小包が届いたという内容の手紙を出せば、綿引は、警察時代の知り合いに、そういう事件があったかどうか、東京に調べに行くでしょう。その時、彼が、みね子に会いに行けばいいだけです。

 

 

 ところで、ひよっこというドラマに、「実の失踪事件」と、複数の登場人物が語ってきた、お世辞にも、余り深みのない「戦争体験談」は、本当に必要だったのでしょうか?

 

 ついでに言わせてもらえば、時代背景も、「高度成長期ノスタルジー」なんかにしないで、普通に、現代の話にしていた方が良かったような・・・。

 

 そうした方が、作風の好みが分かれるだけで、ひよっこの突っ込みどころ、半分以上、減らせたと思うんですけど・・・。

 

 脚本家の岡田氏が、「私には、こんなに芸の幅がある!実際、得意とは言えない、農村も描けた、工場も描けた!」と世間に対して、誇示してみせたかったのでしょうか?

 

 それとも、この記事のタイトル通り、リアリティーや時代公証が重要になるドラマにすることで、あえて、視聴者に突っ込まれる道を進んででも、話題を集めたかった(視聴率が欲しかった)のでしょうか?

 

 私は今も、「普通の若い田舎娘の、地味ながらも楽しい上京物語をフラットなストーリーで描く、朝ドラ初のミニマリズム・ドラマ」として仕上げてくれた方が、かえって、挑戦的かつ斬新で良かったと、個人的には思っているのですが・・・。