詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

ひよっこ、島谷のビートルズのチケットを、人にあげてしまった宗男は、酷い?それとも、ロックンロール?

 

f:id:kitafumi:20170706191239j:image

 

 NHK・朝の連続テレビ小説「ひよっこ」の、第13週「ビートルズがやって来る!」と、第14週「俺は笑って生きてっとう!」は、みね子の叔父・宗男が、この二週間のうち、何日も、主人公並みに活躍するという、異色のもので、その内容に関しても、話題性は充分といった感じでした。

 

 少なくとも、話題性は・・・。

 

 エピソードの軸になっているものは、「ビートルズの来日」と、「宗男の戦争体験の告白」で、ビートルズの来日が決定することで、そこから、いくつかの騒動(ブラック・みね子の歯磨き粉押し売りなど)が起き、宗男の戦争体験が語られる御膳立てが整い、宗男がビートルズファンになった理由も明かされる・・・その他にも、宗男とみね子の失踪した実への思い、みね子の島谷への恋心、島谷のみね子を好きだという気持ち、あかね荘や商店街の親交の深まり、宗男と滋子の夫婦愛などが、描かれています。

 

 こう書いてしまうと、今回の宗男が主人公の週が、大変な「傑作エピソード」の集合であったかのように、誤解されてしまいそうですが、実際は、宗男の戦争体験は、御膳立てがあったというより、省吾に無理やり言わされたようにしか見えず、そのうえ、長かった割に、不発気味でしたし、宗男の戦争体験と、ビートルズ好きの理由も、イマイチ、繋がりませんでしたし、島谷が、みね子を好きと表明した時も、「そこで?」といった感じでしたし、みんなで赤飯弁当作りも、何から何まで、叩きどころ満載といった感じで・・・ハッキリ言って、「上手くまとめました」というよりは、「何とか、まとめることが出来ました」といった印象しか、私にはありません。

 


f:id:kitafumi:20170707002710j:image

 

  今回の宗男のビートルズ狂想曲で、私が最も気になったシーンは、ネット上でも話題になっていましたが、島谷が、親からプレゼントしてもらった、ビートルズのチケットを、宗男にあげようとする、しかし、宗男は、それを受け取らず、島谷と前田が見ている前で、チケットが手に入らず、落ち込んでいる、何の関係もない、ビートルズ・ファンの若い娘に、あげてしまうというシーンなのですが・・・どうなんでしょう?

 

 一般の社会常識からすると、島谷に対して失礼、かつ、あり得ない感じしかしませんが、ロックンロールな常識でいくと、「格好良い!」ということになるのでしょうか?

 

 ちなみに、宗男から、チケットを受け取った、若いファンの娘は、「すずふり亭のある、赤坂にも、ビートルズのファンが押し寄せて来る」というシーンに、数秒間、映り込んでいるだけの、エキストラに過ぎませんでした。

 

 この若いファンの娘と、宗男の間に、チケットをあげる理由になる、小さなエピソードを挟んで置けば、ここまで、違和感のある結果にはならなかったような・・・例えば、宗男がチケットをあげる前日に、同じビートルズ・ファンということで、二人の会話が弾んでいるシーンがあり、その中で、あの娘はチケットを持っていて、チケットのない宗男に、さんざん、自慢する、宗男は羨ましがる・・・しかし、翌日、あの娘のチケットが、誰かに盗まれてしまう、それを知った宗男が、彼女にチケットをあげる、島谷が「いいんですか?」と、宗男に訊ねると「チケットを盗られて、悲しんでる人が、チケットをもらって、喜んでくれるって、最高じゃない?俺も、島谷君が、チケットくれるって言ってくれた時、この男は最高だって思ったもの!」と答える、といった感じのシーンがあれば・・・素人が生意気に、プロの書いた脚本にダメ出しして、申し訳ないんですけど・・・。

 

 やっぱり、一切、ゲームメイクをしないで、遠目の位置から、直接フリーキック一発で、ゴールを決めようとしても、たいがい、ボールは枠の外、となるだけのような気がします。

 

 たとえ、直接フリーキックの名手・中村俊輔(岡田恵和)であっても・・・最近、私は、ひよっこに対して、批判めいた記事が多いので、柄にもなく、岡田氏に、お世辞を言ってみました。

 

 ま、どうせ、このブログの記事が、岡田氏や、ひよっこの関係者に読んでもらえる可能性は、限りなくゼロに近い話ですから、気を使う必要なんか、これっぽっちも、ないんですけど・・・。

 

 

 ところで、今回の宗男のビートルズ狂想曲、結局、ビートルズの曲が、一度も使われずに終わってしまったことも、ネット上の話題になりましたが・・・もしかしたら、脚本家の岡田氏、最初の脚本では、当然、曲が使えるものと想定して書いていたのに、後から、「ビートルズの曲は使えません!」とプロデューサーに言われて、大幅に書き直した、そんな名残りがあるような・・・編集の方も、いつもより、試行錯誤していた印象ですし・・・もちろん、私の憶測に過ぎません。

 

 ビートルズの曲を使ってもいいと思って書いた、岡田氏の最初の脚本では、宗男は、島谷からもらったチケットで、コンサートへ行く話だったのでは?更に、嫁の滋子は、東京に来る予定ではなかったのでは?両親と同じ髪型をした、小祝三兄弟も、書き直しバージョンの時に生まれたアイデアでは?と、私は推測しています。

 

 宗男が、全く無関係の娘に、チケットをあげてしまうエピソードの、唐突な感じも、滋子の「じいちゃんの十三回忌」と言いながら、その日(?)に上京するのも、ビートルズ小屋での夫婦のやり取りで、「出来れば、ずっと一人で、ここにいたい」という宗男の台詞が、三人の幼い子供のいる父親にそぐわないのも・・・宗男の移動手段はバイクだから、という理由があるにしても、夫婦の帰る日が違うのも、「ビートルズの曲が使えない」ことがハッキリして、最初の脚本を大幅に書き替えた時、初期設定と、上手く噛み合わせることが出来なかったのでは・・・?

 

 ま、出来上がったものを、純粋に楽しめば良いという、まともな視聴者の皆さんからすれば、「それがどうした?」と思うだけの、無粋な指摘で、恐縮なんですけど・・・。