詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

わろてんか(第11回)、消えた儀兵衛騒動とは、何だったのか?

 

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 NHK・朝の連続テレビ小説「わろてんか」の第11回は、神戸の薬品倉庫が全焼し、倉庫会社は夜逃げ、保険もなく、銀行も組合も頼りにならない中、取引先の旦那たちが、手形を持って押し掛け、それを病気の新一が対応したものの、家のためにと、無理をした彼は、倒れてしまい・・・後ろ楯として必要だった、伊能製薬との、てんの縁談も断られ、踏んだり蹴ったりの状況の中、藤岡家の当主・儀兵衛の姿が見えなくなってしまうという、不幸のどん底のような話でありながら、やっぱり、あまり深刻な感じに見えない、その大きな問題は、脚本と演出の双方にあるのかと・・・。

 

 ただ、超好意的に解釈すれば、このドラマは、たとえ、不幸の中にあっても、それに負けず、明るく笑って生きて行こうとする、主人公の前向きさも、魅力のひとつのようなので、藤岡家が潰れかけ、病弱な兄の命が尽きかけていても、それが深刻に見えないのは、むしろ、成功しているとも言える訳ですが・・・世の中、そんなに、超好意的な解釈をしてくれる、優しい視聴者ばかりではないのではないか、と思われます。

 

 

 で、儀兵衛が消えてしまった理由ですが、一人、蔵の中で、破談になったてんの、結納の品を、片付けているだけでした。

 

 その時、儀兵衛が、滑車を使い、重い物を上に運ぼうとした時、てんや家族・使用人が駆けつけ、「儀兵衛が、首を吊るつもり」と勘違いし、大騒ぎとなる訳ですが・・・。

 

 結構、少なくない数の視聴者が、「滑車を使って、重い物を運ぼうとした儀兵衛を、てんたちが、勝手に勘違いした話」ではなく、「自殺するつもりだった儀兵衛を、てんたちが、間一髪、助けた話」と思い込んでいるようで・・・それだけ、演出に問題があったのかも知れません。

 

 儀兵衛は、明らかに、自分で、ロープの輪の中に、首を突っ込んでいましたし、更に、自分で、鼻にもロープをかけていましたし(遠藤憲一の、変顔頼りのコメディー演出)、あんな小さい箱の台、本当は要らないですし、「やめろ、おかしなこと考えてるのは、お前たちだろ!」と一喝すれば、それで済む話ですし・・・強引に、あの長めのコメディー・シーンをやるために、結構、無茶な演技を、藤岡屋の主要キャスト、ほぼ勢揃いでしたことで、もしかしたら、「脚本家と演出家のバカ!」という気持ちで、出演者の団結心の方は、深まったのかも知れません。

 

 ところで、朝ドラ・ファンの間では、「自殺をネタにするようなコメディーは、不謹慎でけしからん」という意見も、多いようですが、私は「不謹慎な笑い」というものも、コメディーの重要なジャンル(バリエーション)のひとつ、と認識しているので、特に、気にはなりませんでした。

 

 私が気になったのは、ハツから始まり、しず・てん・りん・風太で終わる、家族の、儀兵衛の自殺を思い止まらせるための、悪口まじりの、脚本家が笑わせようと意図した台詞が、ことごとく、スベっていたことです。

 

 朝ドラで、「自殺を思わせるコメディーなんてやったら、批判される」、それを分かっていてやって、この結果では・・・ちょっと、割に合わないにも、ほどがある感じがします。

 

  脚本家と演出家は、自業自得だとしても、役者たちには・・・。

 


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 ま、この人(濱田岳)は、普通に、そして、楽しそうに、儀兵衛(遠藤憲一)の服を引っ張って、とどめを刺そうとしていましたけど・・・。