詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

わろてんか(第49回~第50回)、前回の終りに、1年経過したばかりなのに、週が変わって、もう1年経過とは・・・?


f:id:kitafumi:20171201101359j:image

 

 NHK・朝の連続テレビ小説「わろてんか(第49回~第50回)」は、てんと藤吉の間に、隼也が産まれてから、てんは、子育てと寄席の仕事で大忙し、藤吉は、家族のためにもなるはずと、2軒目の寄席を手に入れようと奔走する・・・そんな中、風太が大阪へとやって来て、仕事に夢中で、家庭を省みなくなりつつあった、藤吉とケンカになる、という話なのですが、この記事タイトルにある通り、前回の第48回の終わりに、「てんと藤吉夫婦に、子供(隼也)が産まれました」で、1年も時間を飛ばしたのに、第49回の始まりでも、「隼也が産まれて、もう、1年になりました」で、更に、時間を1年飛ばすという、「何故、1年分の長い省略を、週またぎで、2回に分けた?」と疑問を抱かずにはいられない、いつも通りの、「?」展開・・・ちなみに、第47回の「風鳥亭・一周年記念興行と、てんと藤吉の結婚式」の時が、1912年(春)、第49回の「てんは、子育てに仕事に、忙しい日々」の時が、1915年(初節句に、兜の話があるから春?)、たった3話で、3年以上、経過していることに・・・てんと藤吉の結婚式の後、「あれから3年」で、今の状況になるような展開にせず、わざわざ、時間経過を刻んできた理由が、素人の私には、全く分かりませんが、おそらく、このドラマの作者である、脚本家の吉田智子氏も、そのへんについては、よく分からないまま(よく考えないまま)、何となく、書き進めているだけであることは、残念ながら、真実かと思われます。

 

 そんな、作者さえ、物語全体を把握出来ないまま、時間だけが暴走していく、あのアインシュタイン博士さえ、理解出来ずに、腰を抜かすであろう、反物理学ドラマの急先鋒「わろてんか(第49回~第50回)」の、気になったところを、いくつか、指摘してみようと思います。

 

 

「隼也をあやす、万丈目と亀井の、『男の母乳』絡みのギャグ・・・ま、一回きりなら、アリかと思っていたら、風太も同じような、母乳ギャグ・・・もしかして、二度あることは、三度ある?」

 

「芸人探しの旅から帰って来た、藤吉の結果は、『客の呼べる芸人はいなかった』とのこと、風鳥亭が軌道に乗りだしてから、3年も経っているのに、未だに、新メンバーなしだったとは(お茶子と呼び込みは、一人ずつ増えた)・・・」

 

「藤吉『やっぱり、寺ギンを頼るしかない、何とか、取り分を、五分五分に出来れば』、てん『そんなに焦らんでも』って、3年も経ってるんだから、気付くのが、遅いくらいだろう」

 

「自分で相談があるのに、夜中に、自宅へと、伊能を呼び出した、藤吉・・・『お前が訪ねて行け!』と、テレビの前で突っ込んだ視聴者は、きっと、数知れず」

 

「伊能の『働きながら、子育てに家事、大変だ』、歌子の『男は、もう一人の、手のかかる子供』という台詞、明治・大正の言葉というよりは、現代から、借りて来たような言葉、また、子供のいない、歌子に言わせるべき台詞だったかどうかも、疑問」

 

「藤吉『新しい寄席を買って、寺ギンの芸人を2倍使えば、こっちの立場が強くなる』、寺ギンは、芸人の派遣が今のままでも、痛くも痒くもないが、藤吉は、芸人の派遣がなかったら、商売にならないのだから、本当は、立場が逆転することはない」

 

「てんが目を離した隙に、隼也が、芸人の給与計算の紙を、墨だらけに・・・アサリたちは、まるで、給与が貰えなくなるかのような、騒ぎ方をしているが・・・よく見りゃ分かるだろう、てんが覚えているはずだろう、計算し直したところで、大した手間ではないだろう」

 

「風太がやって来たところに、寄席探しから帰って来た藤吉、ちょっと、2軒目の寄席の話をしていただけなのに、てんが『つもる話は、後にしよし』と、止める意味が分からない」

 

「独身の風太が、赤ん坊のおしめを代えられないのは、この時代、特に珍しいことではないと思うが、トキに怒られてしまう・・・そもそも、藤岡屋で、いち女中だったトキが、主人の親戚で、店の先輩で、手代の風太を、どうして、呼び捨てにしたり、頭を叩いたり出来る?」

 

「今更だが、風太と藤吉の関係もおかしい、京都時代、藤吉が青年だった時、風太は子供(鈴木福)、それなりの歳の差があるのに、今は、同い年か、風太の方が年上のよう・・・もしかしたら、脚本家が、自分が決めた設定より、役者の実年齢に、引っ張られてしまっている?」

 

「みりんや醤油で味付けした、油揚げの巾着(週タイトルにある、堪忍袋を象徴?)が入っているらしい鍋に、既に茹でてある青菜を、雑に切って、ポチャポチャと放り込む、謎のおてんちゃんクッキング・・・味見した風太は、『昔から、みりん多めが好き』なのだそうだが、私の記憶が確かならば、京都時代、てんが煮物を作って、風太が味見をして、『もっと、みりん入れた方がいいわ』なんてシーンはなかったような・・・おそらく、この手の、後付けパターン、今後も、どんどん、増えていくに違いない」

 

「てんが、隼也に、授乳している姿に、照れて後ろを向く風太・・・ベタなシーン、そして、短い間に、3度目の母乳ネタ!」

 

「謎のおてんちゃん料理が、完成しているというのに、なかなか、帰って来ない藤吉、やっと、現れたと思ったら、コントチックな酔っ払い演技で、折り詰めをぶら下げ、眠っている隼也を起こそうとしたり、よろけて、てんの料理を畳に落としたり・・・今週も、先週に引き続き、松坂桃李の人気が回復する見込みは、なし?」

 

「風太『新しい寄席を買って来る前に、ちゃんと、隼也の兜買って来い!』、お言葉ですが、兜にしても、寄席にしても、今すぐ買って来なければいけない、必然性なし!」

 

「風太と藤吉がケンカ、てんが『隼也が起きるさかい!』と怒った時の声が、一番、うるさいという、ギャグ(ボケ)のつもり?だったら、すぐ、隼也が泣き出すことで、ツッコミにしなきゃ」

 

「風太が道を歩いていると、偶然、あの寺ギンとぶつかり、殴り合い寸前かと思いきや、何故か、寺ギンが風太を、気に入ってしまうという展開・・・『偶然の出会い』と、視聴者に『結果から、経過を想像させる、セルフ・サービス方式』、これぞ、わろてんかの真骨頂!」

 

「てんが洗濯中、トキが手伝いに、『休み時間やのに』と、てん・・・これから、洗濯物を干すことを考えると、午前中の話だろうから、休み時間というより、出勤前の私的な時間なのでは?つまり、『もう、女中やないのに、すまんなあ』の方が妥当かと」

 

「てん『あの人は、私を、ただの子守りか、働き手と思ってるんやろか?』、元々、女中でもいいから、藤吉の傍に居たいと、北村屋へ押し掛けて来た癖に・・・全く、時の流れってやつは!」

 

「トキ『(風太は)おてんさまに会いに来たと思ったら、藤吉さんとケンカなんかして、何がしたいんか、さっぱり分からん』、藤吉とのケンカは偶発的なことに過ぎないし、風太が、何をしたくて大阪へ来たかより、まずは、京都で何かがあって、こっちへ来たのでは?と、憶測する方が、自然かと」

 

「藤吉が、2軒目の寄席を買おうとしていることを知った、キースとアサリが、出番が増えると、大喜び、しかし、現時点で、1日に昼・夕方・晩と、3回出ているのでは(そうじゃなかったとしても、3回、出ようと思えば、3回、出してもらえるのでは)?つまり、2軒目の寄席が出来たところで、これ以上、出番が増えることはないかと・・・二人が気にすべきは、2軒目の寄席が、今の寄席より、大きいかどうかでは?それなら、報酬もモチベーションも、上がるだろうし」

 

 

 

 ・・・以上です。読者の皆さん、私の長いばかりの、つまらない小理屈、最後まで、お付き合い頂き、本当に、有り難うございました。

 

 機会があれば、また、訪問してください。