詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

わろてんか・総集編(前編)を観た感想です!


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 NHK・朝の連続テレビ小説「わろてんか・総集編(前編)」を観ました。

 

 この総集編を、肯定的に観た人は、本編同様「スピード感があって良い」と、感じたでしょうし、否定的に観た人は、本編同様「話が、繋がっていない」と、感じたかも知れません。

 

 筆者は、「想像したより(ファン・サービスというより)、後半に向けての、宣伝色が濃い」という印象が、まず、第一でしたが・・・これは、編集担当者の問題というよりは、色々と、大人の事情があるのでしょう。

 

 この総集編を、序盤・中盤・終盤と分けると、序盤の完成度が、一番高めで、てんと藤吉の恋を軸に、風太や伊能も、巧く絡んでいて、今後も、わろてんかを記事にするための、復習がてら、ながら見をするつもりが、恥ずかしながら(別に、恥ずかしがらなくてもいい?)、結構、魅入ってしまいました。

 

 しかし、中盤に入ると(特に、米問屋・北村屋の話)になると、本編そのものの「しょうもなさ」を、編集で、何とかすることの限界が・・・そして、芸人の貧乏長屋の話に入っても、その傾向は続き・・・終盤は「家庭(恋愛)モード」を、なるべく切って、「席主・藤吉の話」を軸にすることで、編集担当者が、自身のスタンスを示し、その象徴として、視聴者から、比較的好評だったはずの、「団真とお夕の話」が、まさかのオール・カット、いかにも、賛否の分かれる仕上がりに・・・。

 

 本編自体が、ダイジェスト・ドラマみたいなものだから、総集編作成は、簡単かと思いきや、これはこれで、苦労が多いようです。

 

 元々、本編に「あるべきシーンがない」だけなのに、「担当者が、余計な編集をするから、話が繋がっていない」と、誤解されるようなこともあるでしょうし・・・。

 

 また、「安来節乙女組」の話なんて、総集編の担当者からすれば、「来年の第一週でやって欲しい、こっちが、下手(クライマックスが、分からないヤツ)だと、思われてしまう」と、内心、今も不満を、抱いているかも知れません。

 

 それにしても、「パーマ機1000台の話」と、「儀兵衛の死、てんが知った時には、四十九日を過ぎている話」と、「突然、啄子が、渡米する話」、この三つのエピソードは、総集編で観ても、やっぱり、筆者は、笑わずには、いられませんでした。

 

 あと、幼い頃から、芸人を目指していた男・藤吉の、クールなギャグ「ホーホケキョ!」、子供版と大人版、総集編では、ダブルで、流れていましたが、ダイジェストとして、ストーリーを追っていく以上、避けられなかった面もあるとはいえ、もしかしたら、この編集担当者、個人的に、松坂桃李が、嫌いなのかも知れません。

 

 チョコ衛門も、しっかり、二回やっていましたし・・・。

 

 

  今回の総集編の、最後の予告で、関東大震災や、ラジオと団吾、藤吉の死を匂わせるシーンなどがあり、今後のわろてんか、何だか、面白くなりそうな気配もありますが・・・何と言っても、あの、わろてんかですから、余り、期待をし過ぎると、テレビの前でズッコケて、怪我でもするのが、オチでしょう。