詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

わろてんか(第82回~第83回)、ひよっこの実にも、教えてあげたい、吉田流・記憶喪失の治療方法!


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NHK・朝の連続テレビ小説「わろてんか(第82回~第83回)」は、東京で大地震に遭い、記憶を失い、キースと一緒に、大阪へやって来た、志乃は、伊能の実の母親だった・・・志乃は、てんの世話で、長屋に住まわせてもらったり、医師に診てもらったりしていたが、「甘えてばかりはいられない」と、寄席で、お茶を入れたり、食事を作ったりするようになる・・・北村笑店で働くようになった、志乃は、地震の救援物資の話をしに来た、伊能に、自分の作った料理を勧めるが、彼は、それを反射的に、手で払いのけてしまう・・・その後、伊能の、志乃に対する、不自然な態度を不思議に思った、藤吉が、二人の関係について、彼に訊ねると、彼女は「金のために、中学生の自分を、伊能家に渡した、元芸者の母親」だと答える・・・何故だか、伊能のことが、気になる志乃は、彼の会社に、手作りの弁当を届けるが、そこへ、「伊能の関東の地震の被災者に対する、支援活動は、売名行為である」と疑う、新聞記者たちが現れ、揉み合いの末、志乃が倒され、床に頭を強打する・・・自分の住んでいる長屋で、目覚めた志乃は、失われた記憶を取り戻しており、伊能が、何年も前に、離れ離れになった、自分の息子・栞だとも気付く・・・事情もあったとはいえ、結果として、息子を金で売ってしまった、自分には、息子と会う資格はない、そう感じた志乃は、まだ、安静にしていなければいけない、身体でありながら、てんに、「東京へ帰りたい」と申し出る・・・という話なのですが、「まだ、アメリカにいるはずのキースが、東京にいて、たまたま、伊能の母親と仲良くなって、たまたま、東京に来ていた藤吉とキースが再会して、関東大震災で、志乃が記憶をなくして、風太の勧めで、大阪に行くことになって、バッチリのタイミングで、伊能と再会して、記憶がない以上、他人でしかない、伊能の会社へ、わざわざ、弁当を届けに行った、志乃が、突然やって来た、新聞記者と揉み合いの末、床に頭をぶつけて・・・見事、記憶が戻る!」、こんなトンデモナイ話を思いつける脚本家は、おそらく、日本では、このドラマの脚本家、吉田智子氏だけでしょう。

 

 そんな、吉田氏自身も、何かの拍子に、頭を強打して、脚本家としての基礎的ノウハウを、失ってしまったとしか思えない、作者の体験が活かされているドラマ「わろてんか(第82回~第83回)」で、筆者が気になったことについて、いくつか、指摘してみたいと思います。

 

 

「藤吉と伊能の会話の中で『問題は、どうやって(救援物資を)送るかや?』という台詞が・・・もう、送っている話だったはず・・・そして、どうせ、脚本家は『輸送手段については、突っ込まないで』という、スタンスなのだから、こんな台詞、入れなければ良かった」

 

「キースとのコンビを復活したい、アサリに『地震のことを考えたら、笑うことなんてでけへん、まして、人を笑わせるなんて』と、急に、地震被災のトラウマがある、みたいなことを言い出す、キース・・・東京で、志乃と生活していた時も、風太と再会した時も、普通に笑ってたけど」

 

「久し振りに、てんの妹・りんが、救援物資にするための薬を持って登場・・・家族のことを訊かれても、祖母・はつの話はナシ、彼女は、視聴者に対して、台詞やナレーションで、死を知らせるほどの、価値もない?」

 

「りんは、はつのことだけではなく、本来、存在しているはずの、自分の子供のことも話さず・・・まさか、いないという設定?というより、いつものように、脚本家の頭が、ちゃんと、回っていないだけ?これまた、いつものように、回りだしたら(エピソードに困りだしたら)、急に出てくる?」

 

「りんの『(藤岡屋が大きくなったのは)姉さんが、藤吉さんと、駆け落ちしてくれたお陰やと、思ってます』という台詞・・・悪くはない、しかし、今更、言うような台詞ではない、脚本家は、りんの久し振りの出番までに、自分が、一体、何年、時間を飛ばしてきたか、忘れているとしか思えない」

 

「志乃が、伊能に自分の料理を食べさせようとした時、彼が、手で払って、見つめあって、彼女の手を抑えている、一連のシーン・・・違和感しかない、特に、伊能が志乃の手を、結構な時間、抑えているのは、火傷(何らかの怪我)でもした、という設定?だとしたら、ちゃんと、そう見えるように描くべき」

 

「伊能が、てんと藤吉に、志乃との関係について、語り出す、そして、ちょうど、語り終わったら、志乃が卵焼きを持って、入って来る・・・いっそ、志乃に話を聞かれて、『酷い母親だね』と、彼女が憤る方が、記憶喪失設定を活かせている、と言えたかも・・・で、この後の、伊能の『あの人が、実の息子の顔を思い出せないのは、幸せなことなのかも知れない』という台詞も、効果が大きくなる」

 

「もしかしたら、伊能の会社は、本当に、社長一人、社員一人なのかも知れない・・・そうじゃなきゃ、日常的に、社長自ら、電話番なんかしないはず・・・また、視聴者の多くが、伊能の社長室と思っている、あの部屋そのものが、本当は、伊能の会社(事務所)なのかも知れない」

 

「伊能の、関東大震災・被災者支援活動は、売名行為、と書かれた新聞を丸めて、『えいっ!』と投げ捨てる、志乃・・・自分が持ち歩いている、臍の緒の箱に、栞と書いてあるのに、新聞に、伊能栞と書いてあっても、何とも思わず」

 

「てんと藤吉に、志乃の生活費を渡そうとした時の、伊能の『記憶が戻らないうちはいいが、もし、戻ってしまったら、僕自身も、どうなるか分からない』という台詞・・・無視すればいいだけでは?」

 

「全く、土地勘のない大阪にいるのに、一人で、知り合いとも言えない関係性の、伊能のために、彼の会社へ、弁当を届けに行く、志乃・・・明らかに不可解な行動、伊能の側からすれば、記憶が戻った、あるいは、てんに、親子であることをバラされた、としか思えないだろう」

 

「卵焼きを、親子関係のキーに使うなら、もっと以前に、伊能が、母親の卵焼きの思い出でも、誰かに話す、シーンがあれば、と思うのは・・・このドラマでは、贅沢過ぎる要求?」

 

「突然、伊能の会社に、新聞記者が、取材にやって来て、揉み合いの末、志乃が床に倒される・・・そもそも、別に、売名行為は、法的な罪じゃないから、ニュースとして、大した価値があるとは思えないが・・・また、土地開発における賄賂という話も、伊能にとっては『これこれこうだから、賄賂なんて話は、言い掛かりだ!』と、反論するのは簡単だろう、ただ、このドラマの脚本家にとっては、簡単じゃないだけで・・・」

 

「床に頭を強打したお陰(?)で、記憶を取り戻した志乃・・・ギャグ漫画?志乃の頭に巻かれた包帯が、取れたと思ったら、また、巻かれている姿は、確かに、笑わずにはいられない?」

 

「てんの『(風太からの)便りがないのは、ええ便り』という台詞、彼女の父・儀兵衛は『便りがないまま、四十九日』だっただけに、余り、説得力がない」

 

「てんの『(風太は)おまんじゅうの匂いにつられて、帰って来る』という台詞、まんじゅうって、そんなに、匂いのあるものではないので(カレーとかなら分かるが)、何だか、しっくりこない・・・もっと、匂いのあるものを、好きという設定にするか、こんな台詞は、別に、省いても良かった」

 

「記憶の戻った志乃が、『東京へ帰らせてもらいたい』と、興奮気味に、てんに訴えるシーン・・・帰りたい、ではなく、『交通費を貸して欲しい』という話がメインで、展開される方が、妥当かと」

 

「キースが『お母ちゃん、東京へ行っても、住むところも、仕事もないのに』と、ここを去ろうとする、志乃を止めようとすると、『やめてくれ、何が、お母ちゃんだ、おためごかしは、もう、たくさんだ!』と、暴言を吐かれてしまう・・・ちなみに、『おためごかし』という言葉の意味は、『相手のためと見せかけて、自分の利益をはかること』だそうで、この場合、志乃が、一方的に、てんやキースたちの、世話になっているだけなので、おそらく、間違った使用方法の可能性が、高いかと」

 

 

 ・・・以上です。読者の皆さん、私のくだらない、長いばかりの小理屈、最後まで、お付き合い頂き、本当に、有り難うございました。

 

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