詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

わろてんか(第96回~第97回)、キースとアサリの、新しい漫才が完成する話、てんに見守られながら、藤吉が逝く話!


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 NHK・朝の連続テレビ小説「わろてんか(第96回~第97回)」は、藤吉の見舞いに来た、伊能に、「今の興行界は、映画や芝居に比べて、寄席の売り上げなんて、微々たるもの・・・日本も、アメリカみたいに、芸人が映画に出るようになれば、ウチの300人の芸人を使って、もっと、面白いことが出来る」と藤吉が、伊能の会社との提携話を持ち掛けると、「それが君の、次の一手なら、考えておくよ」と、彼は返答する、続けて藤吉が「てんのこと・・・どう思ってる?栞君は、未だに、結婚してへんけど」と、際どい質問をすると、「残念なことに、まだ、おてんさん以上に、魅力的な女性と、出会ったことはない・・・そして、彼女のお陰で、君と出会えた・・・おてんさんと、君は、僕の同志だ」と答え、伊能は、藤吉の手を、ギュッと握り締める・・・天満風鳥亭で、キースとアサリが、新しい漫才を、お披露目することになり、藤吉にてん、伊能やリリコなど、多くの仲間たちが集まっていた・・・キースとアサリの、新しい漫才は、レコードの出囃子に始まり、紳士風の衣装、自分のことを「僕」、相手のことを「君」と言う、しゃべくりだけの漫才で、この時代、きわめて、画期的なものだった・・・漫才が終わった時、藤吉は、「こんな漫才、見たことない、この『しゃべくり漫才』なら、天下取れるわ」と、二人を称えると、「藤吉、みんな、お前のお蔭や、おおきに」と、キースとアサリは、畏まって、お礼を述べる・・・3日後、藤吉は、またも倒れて、病室へと運ばれる・・・てんが、彼のベッドの傍で見守る中、藤吉が意識を取り戻すと、「夢の中で、また、昔に戻ったわ」と、「笑いの色(茶色)」、「笑いの味(柿)」、「てんが、儀兵衛に、蔵へ閉じ込められた時、チョコ衛門をしたこと」などの思い出が語られた後、「オレは、北村笑店を大きくして、日本中を笑わせるのが、夢やと思うてたけど、ホンマは、たった一人の女の子を、笑わせたいだけだったんや・・・てん、笑ってくれてありがとう、これからも、ずっと、わろてんか?」と、てんへの想いを打ち明ける・・・てんに、北村笑店と隼也の将来を託した、藤吉は亡くなり、彼の葬儀は、全国から、大勢の席主や芸人が駆け付け、それは盛大に、執り行われるのだった・・・という、あらすじです。

 

 

 で、筆者の感想ですが、キースとアサリのしゃべくり漫才、「これまで通り、つまらなかった」、それに、しゃべくりと言っている割には、二人のアクションが大きいし(結局、ラジオ向きじゃないし)・・・そして、何回聞いても、納得いかない、「笑いの色は、茶色」、「笑いの味は、柿」の話・・・あれだけの長い台詞を言う、元気がある藤吉が、その直後、そのまま、息を引き取ることの違和感、愛するてんに見守られながら、二人きりの時に、という状況に、意味があったのだとしても、喋り過ぎ・・・病気の藤吉に、長いメッセージを語らせるなら、藤吉の遺言(てんへの最後のラブレター)が、葬儀の後で見付かって、中風の藤吉が、震える手で書いた文字を、てんが泣きながら読む、みたいな話の方が良かったかと・・・葬儀と言えば、藤吉の人生に、死がチラついて、実際、亡くなるまでの期間、ドラマ上、かなりの時間を使った割に、彼の葬儀の方は、あっと言う間に、終了・・・てんの死に装束姿のシーンより、香典の前の隼也たちのシーンの方が、印象に残る、妙な仕上がりに・・・せめて、エキストラをケチらずに、自宅前で、死に装束姿のてんのところに、大勢の芸人たちが、駆け寄るようなシーンが欲しかった・・・もっと、贅沢を言えば、ドラマ上、藤吉の、ライバル席主や、親しい席主が、大阪や東京に、複数、設定されていれば(それぞれ、エピソードがあれば)、こういう時、集合することで、視聴者も、感情移入が出来たのでしょうが、藤吉の自宅前にいた、全国各地からやって来たという、席主らしき人たちは、全員、エキストラ・・・わろてんかの「至らない、これまで」を象徴するような、藤吉の葬儀だったと思います。