詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

第10回「半分、青い。」は、脚本家(北川悦吏子)の、感性と構成がスゴい!


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 NHK・朝の連続テレビ小説「半分、青い。」の、第10回を観ました。


 そのあらすじは、学校で、鈴愛が「今、私の左耳は面白い。時々、小人が、歌って踊る。ボルネシアン風(律が訂正、ポリネシアン風)」、「左耳だけ、海へ行ってまった(潮騒のような耳鳴りがする)」と、自分の病気の状態を、独特の比喩で、みんなに話す・・・更に、「でも、やがて終わる。治る。これを飲むと」と、ステロイドを見せ、それが律のぜんそくの薬と、同じことが分かり、鈴愛は「律とお揃いか?」と、ちょっと嬉しくなる・・・鈴愛の左耳は、突発性の難聴で、ステロイドを飲めば、2週間で治ると思い込んでいた、晴と宇太郎だったが、名古屋の大学病院で、先生から、精密検査の結果を聞いたところ、おたふく風邪による、ウイルスが原因で、鈴愛の左耳は、既に失聴していることを聞き、宇太郎は戸惑い、晴は、先生に「(話の途中で)そんなことは、聞いとらん!」と怒鳴るほど、理性を見失ってしまう・・・夜、幼い草太を二階に行かせ、晴、宇太郎、仙吉が、鈴愛に、「もう、左耳は聞こえなくなっていること。薬を飲んでも、治らないこと」を伝えると、「そうか、もう、海から帰って来んか。バイバイって、言えんかったな。元気な時の左耳に。バイバイ、今までアリガトなって、言えんかった」と鈴愛は、元気な時の左耳に、「感謝と別れ」を言いそびれたことを悔やむ・・・そして、左耳が聞こえない(治らない)という、非情な現実を告げられ、一人、部屋で、仰向けになり、寝ている時も、鈴愛は、一粒の涙も、こぼすことはなかった・・・という内容です。



 それでは、「半分、青い。」の第10回の感想ですが、まず、序盤に、鈴愛の「今、私の左耳は面白い・・・左耳だけ、海へ行ってまった」から始まる、希望に満ちた話をやり、中盤に、晴と宇太郎が、医師から、予想だにしない、検査結果を聞き、その希望が打ち消される話をやり、終盤に、「そうか、もう、海から帰って来んか・・・元気な時の左耳に、バイバイ、今までアリガトなって、言えんかった」という、鈴愛の台詞で、彼女の空想世界が繋がり、最後の最後に、「この時、鈴愛は、一粒の涙も、こぼしませんでした」と、ナレーションが入ることで、ヒロインは、「絶望している訳ではない」ことを、視聴者に伝えるという、しっかりした構成で、とても、良い回だったと思います。


 特に、鈴愛の「左耳から、潮騒が聞こえる、歌って踊る小人は、ポリネシアン風、それは楽しい出会い(新しい発見)と思っていたら、実は、元気な時の左耳(聴力)との別れ」という話は、脚本家の詩的感性が表れていて、ドラマの細部として、本当に、良く出来ていると思います。


 診察室での、医師と、晴と宇太郎の3人のシーンも良かったですし、医師から聞いた事実を、晴が、鈴愛に、子供相手だからと、ごまかさないで、無情に思えるくらい、淡々と、話すのも良かったです。


 この時の、晴「今日、お父さんと病院へ行って来た」、鈴愛「何で、私は行かない(で、晴を見て)・・・の?(で、宇太郎を見る)」を始めとする、晴が、鈴愛を見つめたり、目を合わせられなかったり、宇太郎と目で相談したり、みんなが目線を散らす中、仙吉だけが、殆んど、目線を動かさなかったり・・・まるで、目線をテーマにしたかのような演出も、良かったと思います。


 最後に、ひとつ、不満を言えば、鈴愛が部屋に一人で、寝転がっていた時、音楽は要らなかった・・・ずっと、沈黙が続いてる中、いきなり、「ババンバ、バンバンバン」と鈴愛が呟く、その後、もう一回、短い沈黙があって、例のナレーション、そして終了・・・天井の竜のシミの話は、別の機会(例えば、次回のオープニング)で良かったかと・・・。



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