詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

わろてんか・総集編(後編)を観た感想です!


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 NHK・朝の連続テレビ小説「わろてんか」の総集編(後編)を観た、感想です。



 まず、筆者が思ったのは、15分×150回超の長い物語を、前編と後編で、3時間の総集編にまとめるという、この朝ドラの恒例企画自体、編集を担当している人からすれば、かなり、無茶苦茶な話で、誰がどう工夫しても、ファンが納得する、あるいは、新規のファンを獲得する、良い仕上がりにはならないかと・・・。



 そう言う意味では、「何を軸に編集するか(入りきらないエピソードを切り捨てる、指針にするか)?」が、大事になる訳ですが・・・一番、分かりやすいのは、ヒロインの人生(その成長過程と結果)を軸にすることかと思われますが、この「わろてんか」というドラマの場合、ヒロインのてんが、主役というより、いつも、2番手、3番手の脇役の扱いなので、ハッキリ言って、軸にならない・・・実際、総集編の前編の軸は、「てんに恋する藤吉」、「日本一の席主を目指す藤吉」でした。



 総集編の後編も、一番の主要エピソードといえる、「藤吉の病と死」に限らず、隼也だったり、伊能だったり、リリコ&四郎が主人公になる、スピンオフのような話の連続で、やっぱり、ヒロインのてんは、「常に受け身」の、2番手、3番手の脇役に過ぎませんでした。



 それだけに、総集編の後編は、「てんと、その家族(仲間)の話」、「北村笑店の発展の話」、「戦争の話」の3つを、何とか、上手く絡ませることで(なるべくなら、てんを接着剤にすることで)、軸にしようとした印象を受けます。



 しかし、その編集プラン自体は、悪くなくても、結果として、成功したとは言い難い、イマイチな仕上がりだったと思います。特に、終盤の「北村笑店物語」に至るまでの、歴史年表的な話の進め方は、あまりに、雑過ぎたかと(いくら、ダイジェストとはいえ、全く、ドラマになっていなかったかと)・・・。



 ま、元々、本編自体が、ドラマになっていない(各エピソードが、上手く絡み合って、話が膨らんでいくということが、殆どない)ことを踏まえれば、今回の総集編の、編集担当者を責めるのは、間違っているのかも知れませんが・・・。



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 それにしても、改めて、総集編で観ても、「記憶喪失の志乃が、記憶を取り戻す切っ掛けが、床に頭を強打」、「隼也とつばきが、駆け落ちに至るまでの展開の不自然さ」、「重要な史実エピソード、東京進出と、通天閣を買う話が、ほぼ、描かれない」、「既視感と浅薄さしかない、戦争エピソード」、「幽霊として、何度も登場して、普通に、てんと会話をする藤吉」などと、最初から最後まで、あっちこっちで、違和感だらけ・・・きっと、このわろてんかは、朝ドラ史上ナンバー1の、トンデモ・ドラマとして、後世に、語り継がれるに違いありません。



 最後になりますが、主人公のてんについて・・・彼女には、ユーモアがない(だから、ヒロインとしての魅力に乏しい)気がします。

「どんな時でも、笑うんや」みたいなことを、口先だけで、誰かに、教訓風に言うキャラ設定よりも、彼女自身にユーモアがあって、常に、みんなを笑わせているキャラ設定だった方が、主人公として、もっと存在感(魅力)が出て、ドラマ全体の質も、上がっていたと思います。



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