詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

家の雑事をするだけの、冴えない日曜日となっています

 

 このブログを読んでいる、購読者の皆さんは、「どうせ、君は無職で、毎日、休日なんだから、日曜日とか関係ないのでは?」と、お思いかも知れませんが、実は私にとっても、日曜日は、勤労者の休日並みに重要だったりします。

 

 平日は、家で留守番をしながら、何をしでかすか分からない、軽い認知症の祖母の面倒をみているので、殆ど、どこにも出掛けることが出来ません。

 

 しかし、日曜日は、父親か、妹が家にいるので、私は、お出掛け自由の身になります。とはいえ、特に行きたい場所がある訳でも、余計なお金がある訳でもないので、気分転換に車でドライブして、途中、買い物したり、何か食べたりするだけですが、結構、気は紛れます。

 

 ところが、今日は、父親も妹も、何か用事があるようで、家には、昨日、退院して家に戻って来た母親と、祖母がいるだけです。

 

 仕方がないので、今日の午前中、私は、階段の掃除をしたり、花に水をやったり、猫に餌をあげたり、家のストーブやファンヒーターの給油をしたり、燃えないゴミと、資源ゴミの選別をしたりしていました。

 

 そして、相も変わらず、祖母にお茶を出しています。また、祖母が「隣の部屋に誰かいて、騒がしい!」みたいなことを言い出すのも、相も変わらずです。もちろん、隣の部屋には、誰もいません、居たら、その人に、祖母のことを任せたいくらいです。

 

 母親の方も、相変わらず、大したものを食べていません。このままじゃ、胃癌どうこうの前に、餓死してしまいそうです。

 

 尤も、雪山で遭難したある登山家は、チョコレート一枚で、救出されるまで、数日間耐えたとか、地震で建物に閉じ込められた人が、水だけで一週間過ごして、生き延びたなんて話も聞きますから、人間って、意外と食べなくても、平気だったりするのかも知れません・・・それでも、スポーツドリンクの類くらいは飲んで欲しいのですが、今の母は、熱い緑茶を少し飲むだけです。

 

 ま、私は、母のことも、祖母のことも、気楽に考えています。難しく考えたところで、「これだ!」という答えなんか、ないでしょうし・・・。

 

 

 それでは、読者の皆さん、さようなら。そろそろ、「日常の話」ではなく、「詩」か「ブログの話」 か、「テレビの話」でも書こうと思っています。質の方は、保証しかねますので、あまり期待しないでください。