入院中の母との、最期の会話らしい会話になったかも知れません
胃癌で闘病(入院)中の母を看護する日々が、ずっと続いています。
母は、一日二十四時間のうちの大部分を、眠っています。起きている時、多少なりとも意識がある時は、痛みが激しくて、眠ることさえ、出来ない時です。
たまに、眠気もなく、痛みもなく、目を開けて、ボーッと何処かを見つめている時もありますが、ただそれだけです。話しかけても、大した反応はしません。かえって、痛みがある時の方が、こちらの呼びかけに反応しますし、短い言葉を発します。
「痛い」、「つらい」、「腹(擦って)」、「肩(揉んで)」、「枕(ずらして)」、「足(伸ばして)」、「(こちらが指示を聞き取れない時)何でわからない?」、「もう、いいから(死にたい)」、「(頑張ってと言うと)この痛みが!(分からない癖に)」、「何で?(こんな目に)」、「(水などをやろうとすると)いらない」、「家に帰りたい!」
これらが、ここ数日で、私が母から聞いた、主な言葉の数々です。
また、母は、首を小さく、縦に振ったり、横に振ったりすることで、イエス・ノーを意思表示することも出来ます。しかし、質問されること自体は、ストレスのようです。
お見舞いに来た親戚たちから、「○○だよ、分かる?」みたいな質問をされることが多いものですから・・・。
昨日の夜、私と母が二人きりの時、実は、こんなやり取りがありました。
母が、いつものように、「家に帰りたい、家に帰りたい」と呟き出したので、私も、いつものように、「今は無理だけど、もう少し元気になったら、お父さんにも、先生に言ってみよう」と答えました。
しばらくして、先生ではありませんでしたが、男の看護士がやって来て、「何かして欲しいことはありますか?」と母に訊ねたところ、「おウチに・・・帰りたいです。先生、早く、おウチに帰して・・・」と、聞き取りにくい、かすれた声ではあったものの、母は確かに言いました。
看護士は、一瞬、答えに迷ったようですが、「私の立場からは、何とも言えませんが、早く元気になって、そうなれば良いですね」と、いかにも及第点の常識的な返事をして、去って行きました。
ただ、眠っているだけ、そして、起きている時は、ただ、痛みで苦しんでいるだけの母・・・生きる希望なんて持ちようがない、こんな状況を変えようと、私は母に、「家に帰ろう。明日、お父さんが来たら、そのまま車で、家に帰ろう。私が車椅子に乗せて、病院の入口まで、ちゃんと押してやるから、心の準備をして置いて。明日、家に帰るから。家に帰るよ!」と、耳元でささやきました。
それを聞いた母は、数秒後、両目から、少量の涙を零しました。
私が、「言ってみて良かった」と、自己満足に浸ろうとした瞬間、母が、何か、短い言葉を発しました。私には、それが聞き取れなかったので、もう一度聞こうと、母の口に、自分の耳を近付けました。
「ウソ!」
母の言葉は、このような単純明快なものだっただけに、私の心に、グッサリと、突き刺さりました。
きっと母は、「我が息子ながら、小賢しい男だ」と、思ったに違いありません。
おそらく、近日中にも母は、ただ、眠っているだけ、たまに寝ごとでも言うだけの状態に陥ってしまうことでしょう。
母に、まともな会話のやり取りが出来た時の、私に向けた最期の言葉が、「ウソ!」とは、あまり自慢にはなりませんが、ま、変に美談になってしまうより、私らしくて、良かったのかも知れません。