詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

茂木健一郎、失言を失言と認識出来ない、無反省な炎上スター!


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 最近、脳科学者の茂木健一郎氏が言った、「(オリラジ)中田さんが味方してくれて、本当に嬉しかった。お笑いは下剋上。どんどん、新しいお笑いが出てきて、上を抜いていく。成り上がろうと思えば、逆風はつきもの、それで(その分野全体が)盛り上がる。中田さんには、お笑い界の織田信長になってほしい。これからの中田さんのお笑いに興味があるし、楽しみです」という趣旨のコメント、一見、良いことを言っているようで、よく考えてみると、少なくとも私には、違和感が残ります。

 

 自分が、さっさと白旗を上げてしまった戦い(日本のお笑い、並びに、地上波テレビ、終わってる論争が発端)なのに、別の人間(オリラジ・中田)に、代理戦争を促すようなコメントを出すなんて・・・。

 

 日本のお笑い(あるいは、地上波テレビも含めたメディア)の、今ある秩序に不満があり、それを破壊したい、なおかつ、新たな秩序を構築する自信、少なくとも、その意義(必要性)があると感じているのなら、自分自身が闘えば(論争すれば)いいのに、すでに白旗を上げてしまった人間が、何を図々しく、他人の動向に期待をしているのでしょうか?

 

 むしろ、オリラジ・中田に「下剋上」なんて言葉を使って、結果として(松本人志との)対立を煽るようなことを言うより、「もし、私のせいで、松本さんと中田さんの関係がギクシャクしているのだとしたら、何だか、責任を感じてしまいます。私が望む結果は、二人の関係が、丸く収まることだけです」とでもコメントする方が、はるかに妥当(大人)だったと思います。

 

 茂木氏自身が、戦場へ行き(論争をし)、突撃(反論)することよりも、撤退(謝罪)することを選んで、状況を丸く収めた訳ですし・・・。

 

 それに、オリラジ・中田に「お笑いは下剋上、下の世代が、新しいことをして、上を抜いていく」みたいな話をしたうえで、「お笑い界の織田信長になってほしい」という、喩えはないと思います。

 

 信長は、家臣(明智光秀)に討ち取られた(本能寺の変)、戦国時代で最も代表的な「下剋上の被害者」ですし・・・別に、ダウンタウンの松ちゃんじゃなくても、「茂木健一郎、センスない」と、多くの人が思ったことでしょう。

 

 

 ちなみに、最近の茂木氏は、こんなコメントもしているそうです。

 

「夜、とある東京の駅の側で、全く同じ格好をした(リクルートスーツを着た)学生の群れが、私の前を、騒々しく通り過ぎて行った。画一性、没個性・・・この国は本当に終わっている、と思った。(彼らのファッションは)経団連のお墨付き」

 

 個性とは、外見が全てなのでしょうか?あるいは、同じ格好をした学生が多かった、無個性というならば、「個性とは、多数決で決めるべき」なのでしょうか?

 

 ある集団を見て、そこから個を見ようとせず、ひと括りで評価を決めてしまう姿勢こそ、茂木氏のような「個性の重要性を説く人間」のする態度とは、とても、私には思えませんが・・・。

 

 そして、茂木氏のいつもの、論理の飛躍ショー・・・彼が見掛けた、このリクルートスーツの集団が終わっているのではなく、日本の学生が終わっているのでもなく、日本の企業が終わっているのでもなく、「この国(日本)が終わっている」のだそうです。

 

 私には、このリクルートスーツの集団も、日本の学生も、日本の企業も、日本という国家も、何も終っちゃいないような気がするのですが・・・茂木氏って、心底、「終わってる」と断言するのが好きみたいですが、その挑発的かつ失礼な断言コメントこそ、「そろそろ、終わりにしてくれたら」と思う人も、茂木氏の周辺の人たちを中心に、少なくないのではないでしょうか?

 

 このコメントの最後の「経団連のお墨付き」という言葉も、茂木氏の大好きな「権力に屈しない、大胆な物言いをする私」という図式の誇示ですが・・・経団連も、安倍政権も、ついでに、トランプ大統領も、彼が何か言ったところで、それに見合った、報復をしてくる訳じゃないですし・・・きっと、これからも、茂木氏は、権力者に立ち向かうポーズだけとって、本当は「言った者勝ち」の実情を把握していながら、あらゆる分野の権力者たちに、甘え続けていくことでしょう・・・。