詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

認知症の祖母「もう、終わりかも知れない」と約四半世紀呟く、庭で、猫の家族の記念撮影

 

 私の、認知症になって久しい祖母は、ほぼ毎日、「私は、もう、終わりかも知れない。目も見えないし、耳も聞こえないし、腰も曲がったし、脚も悪いし、すぐ疲れるし、すぐ忘れるし、いつ死んでもおかしくない」と、所構わず、誰彼構わず、ボヤき出します。

 

 祖母は、亡くなった夫や、自分の子供や孫の名前も、思い出せなかったりするのに、この台詞だけは、ざっと四半世紀、忘れることなく、日課のように、ボヤき続けているのだから、不思議なものです。

 

 祖母の日課といえば、新聞のおくやみチェックも、そのひとつです。自分の住んでいる地域を中心に、いつも大体、5分くらいは凝視しています。

 

 そして、おくやみの記事を読み終えた祖母は、「自分より、若い人たちが、どんどん、死んでいる。私も、既に八十半ばだし、いつ死んでもおかしくない。この歳で、この体調では、ひと月持てば、御の字だろう。それまでの辛抱だ。私が死ねば、誰も面倒みないで済むから、みんなが楽になる。私自身も、生きているより、ずっと楽になる」と私に、気弱なことを語り出すことが多いのですが、祖母の実際の年齢は九十六なので、「ひと月持てば・・・」どころではなく、「一体、何年、延長する気なのか?」と、許されるのなら、問い質してみたいくらいです。

 

 

 ちなみに、今日の祖母は、昼食後、私が茶碗などを片付けた直後に、杖を突きながら、台所までやって来て、「何も食べる気がしない。今、煎餅を食べようとしたが、どうしても食べられない。病気だろうか?」と不安げな顔で、私に報告しました。

 

 たった今、祖母は、ご飯と味噌汁と、ポテトサラダと、公魚の佃煮と、海草の酢の物と、煮豆と、生姜の漬物を完食したばかりなので、そのうえ、煎餅なんか食べられる訳がない、ただ、それだけの話なのですが・・・。

 

 

 

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 少し前まで、ウチの物置に引き込もっていた猫たちが、最近は、図々しく、家の玄関付近に現れるように・・・ウチはすでに、五匹前後の猫のたまり場になっている状況なので、これ以上増えて、猫屋敷化すると、近所迷惑になりますし、正直、困っています。

 

 父猫の方は、現在、失踪中らしく、私は、見かけたこともありません。

 

 もしかしたら、朝ドラ「ひよっこ」の影響でしょうか?

 

 あくまで、私の推測の域を出ませんが・・・。