詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

視聴率好調!「池の水ぜんぶ抜く」に、死角はないのか?

 

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 テレビ東京・日曜ビッグバラエティ「緊急SOS!池の水ぜんぶ抜く大作戦」が、4回目の放送にして、日曜日のゴールデンタイムという激戦区で、初の二桁視聴率(11・8%)を記録、各メディアの評価も好意的、かつ、有名人のファンも少なくない、テレ東を代表する人気番組として、上昇気流に乗りつつあるようですが・・・はたして、今後、この番組に、死角はないのでしょうか?

 

 

「池の水ぜんぶ抜く」の内容は、地元住民の依頼を受け、何年も水を抜いていない、汚い池の水を、その名の通り、ぜんぶ抜き、きれいに掃除、その過程に現れる、日本固有の在来種を保護、外来種は排除するのが基本で、更に、おもしろゴミや、その土地ゆかりのお宝発見も、この番組の醍醐味となっています。

 

 

 水を抜く、池の個性と、依頼主のお願い内容によって、テーマや目的、使う機械や、作戦が変わるので、「ただ、池の水を抜く」、それだけの番組でしかないにも関わらず、一度の放送で、複数の池を取り上げても、ワンパターンといった感じはなく、そのあたりも、視聴率好調の理由かも知れません。

 

 

 では、この番組に、死角があるとしたら(死角が出来るとしたら)、それは何か?3つほど、指摘してみようと思います。

 

 

「どこの池でも、同じような在来種・外来種しか出てこない場合、番組が飽きられてしまう可能性がある」

 

「おもしろゴミも、お宝も、発見されないケースばかりになると、番組への興味・面白味が、半減する可能性がある」

 

「自治体や自治会からの依頼、子供たちやボランティアの協力、市長や警察の登場など・・・教育番組、社会派バラエティの要素が濃くなると、娯楽性を失い、番組がつまらなくなる可能性がある」

 

・・・といったところでしょうか?

 

 

 パート4の時点で、すでに、過去に見たことのある在来種・外来種ばかりでしたし、「九州・佐賀の、鍋島家の軒丸瓦」も、お宝と言っていいのかどうか、というレベルのものに、過ぎないでしょうし、子供たちが、先生から話を聞いて、「はーい!」みたいな感じも、程々にしないと、バラエティ番組として、大事な何かを、失ってしまう気がします。

 


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 「2があるということは、1も、この池にありますね」という、ココリコ田中の名推理、結果的に、1が発見されることはなかったようですが・・・このおもしろゴミの発見と、それに対する、ココリコ田中のおもしろコメントは、「バラエティ番組として、大事な何かとは?」、その命題に対する、ひとつの答えを、象徴しているのかも知れません。