詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

ひよっこ、「これは運命だよな」では片付けられない、早苗の恋の物語について


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 NHK・朝の連続テレビ小説「ひよっこ」の、第25週「大好き」の第145話で明らかになった、早苗が「永遠の25歳」である理由、そして、彼女の人生の時計の針を進めることになる、第26週「グッバイ・ナミダクン」の第152話での、「早苗の恋の物語」の伏線回収エピソードは、設定に無理があり過ぎて、本来なら、ロマンティックで感動を呼ぶ話になるはすが・・・テレビの前の視聴者が、「あり得ない!」と、叫ぶ話になってしまったようです。

 

 

 この早苗の恋の物語で、何が最も、あり得ないのかと言えば、それは、何と言っても、早苗と相手の男「ミスター・サンフランシスコ」が、デパートのエレベーターに閉じ込められて、話をしたり、手を握ったり、抱き合っただけで(そもそも、初対面で抱き合っちゃう?)、交際期間がないにも関わらず、早苗が本気で、将来、彼が迎えに来ることを、12年間も、待ち続けていたことでしょう。

 

 

 出来れば数ヶ月、少なくとも、一週間、二人の間に、交際した事実があれば、この早苗の恋の物語に対する印象(視聴者の感じるリアリティー)は、随分と違ったはずなのに、何故、その日のうちに、結婚の約束、そして、その日のうちに、男は渡米・・・どうせ、語りだけで、回想シーンはないのだから、「二人は、少し付き合っていた」という設定に変更するのは、簡単だったはずなのに、どうして、ひよっこのプロデューサーは、脚本家の岡田恵和氏に、このことを提言・説得出来なかったのでしょうか?

 

 

 二人が一定期間、付き合っていて、そんな中、彼がアメリカへ行くことになった、早苗も誘われたけど、若過ぎて、勇気がなくて、断ってしまった・・・そのことを、彼女は、今でも後悔している、だから、英語の勉強をしながら、今も、迎えに来るはずのない彼を、健気にも、待ち続けているという、シンプルな設定で、別に、良かったような気がするのですが・・・。

 

 

 岡田氏に限らず、恋愛の描き方のパターンとして、男も女も「(ストイックに)待つ」というものがあって、これは確かに、やりようによっては、感動を呼ぶ、涙を誘う、ロマンティックな話を作るのに、有効な手法なのですが、今回の早苗の恋の物語で、有効な結果が出なかったのは、「待つ、理由がなかった」、少なくとも、あのエレベーター話だけでは、妙齢の早苗が、(おそらく)実家から勧められる、お見合い話を何度も断りながら、12年も、待ち続けるだけの、説得力がなかったからでしょう。

 

 

 脚本家の岡田氏、もしかしたら、実の記憶喪失設定が、視聴率的に成功したので、あり得ない設定であればあるほど、視聴者は、その後の展開を、ドラマティックに感じて、視聴率は上昇するものだと、勘違いしてしまったのかも知れません。

 

 


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 早苗が所持している、このドラムスティック、結局、これにまつわる、エピソードはなし・・・きっと、十手代わりの護身用でしょう。

 

  そう言えば、早苗が突然、誰かを目撃して、バー・月時計から飛び出した、あのエピソード(第131話)も、結局、人違いだったということなのでしょうか?

 

 かなり、意味ありげな演出になっていましたが、ドラマ上の意味としては、「早苗にも過去がある、それを、これから明かすエピソードをやります」と、匂わしただけなのでしょうが、匂わすだけ匂わして、その放置時間の長いこと・・・そして、取り上げたと思ったら、「本人の語り」からの、「ついに、彼が早苗を迎えに来て、一緒に渡米」という、高子と太郎の結婚のケース同様、相変わらずの、ゲームメイクをしない(プロセスを描かない)、「直接フリーキック一発主義」の岡田氏・・・もちろん、見事、ゴールを決める時もありますが、今回ばかりは、ボールが、ゴールではなく、スタンドに入ってしまったことを、ちゃんと、反省して欲しいものです。

 

 


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 松本人志が、コント仕様の長髪のカツラをかぶった時のような容姿の、ミスター・サンフランシスコ・・・まだ、ドラマ上の年齢は、30半ばくらいのはずなのに、どう見ても、50前くらいに見えます。

 

 きっと、12年にわたる、米国での修業生活が、あまりに過酷だったのでしょう。早苗に対して、名前も住所も知っているのに、手紙一通、出せないほど・・・。