詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

わろてんかの評判(視聴率)が良くない、13の理由について

 

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 NHK・朝の連続テレビ小説「わろてんか」は、スタートした週の視聴率こそ、期待値以上の、高めの数字を叩き出したものの、その後、視聴率は停滞気味・・・内容的には、始めから、好意的な評価より、否定的な評価が上回っていたので、視聴率が下落したこと自体、自然な成り行きではありますが、それでは、このわろてんか、一体、何が問題で、イマイチ、評判(視聴率)が上がってこないのでしょうか?

 

 その原因について、いくつか、思いつくまま、気の付くまま、私なりに、指摘してみようと思います。

 

 

「脚本家に、笑いのセンスがない。とはいえ、藤吉のギャグがつまらないのは、設定上のものだから、あれでいい、と擁護する人もいますが、残念なことに、『つまらないギャグ』の選び方のセンスもないことが、もうひとつの問題に」

 

「演出家に、脚本家の笑いのセンスのなさをフォローするだけの、(コメディーにおける)力量がない」

 

「ブロデューサーを始めとする、わろてんかの主要スタッフの、このドラマをヒットさせたいという、過剰な野心が、『ヒットの法則』的なテクニックに走らせ(それ自体は、良くも悪くもない。結果が出ない時に、恥ずかしいだけ)、それが、見事なまでに、空振りしている」

 

「キャスティングの時点で、失敗している可能性・・・特に、ヒロイン(葵わかな)と、その恋人(松坂桃李)の評価が、ネット上でイマイチなのは、致命的?(筆者自身は、脚本次第で、これから、どうにでもなる問題だと、みてますが)」

 

「キャラ設定、各キャラの役割分担が曖昧なまま、ストーリー先行で話が進んでいるので、良いことがあろうが、悪いことがあろうが、さほど、キャラにも、ドラマそのものにも、感情移入出来ない」

 

「不幸があっても、笑いで吹き飛ばせという、このドラマのポリシーは尊重したいが・・・きちんと、不幸を描ききれない中、フライング気味に、笑いの襲来、何もかも解決してくれるというパターンは、真剣に観ている視聴者ほど、受け入れ難いものがある」

 

「ドラマの展開のために、『偶然』を活用することは、誰が脚本を書いたとしても、仕方ないこと・・・だからといって、1話あたり、3回も4回もやり出したら、さすがに、やり過ぎ」

 

「吉本せいの波乱万丈な人生に、興味を抱いて、視聴している人たちにとって、残酷なまでに『ポップな仕上がり』、その笑えない違和感」

 

「前作のひよっこ同様、時折、ナレーションの鬱陶しい時が・・・そして、これまた、ひよっこ同様、好みの分かれる人選(小野文恵アナ)」

 

「ひよっこという変化球に、ついてこれなかった、一部の朝ドラ・ファンの視聴者にとって、待望の『直球ど真ん中』が来たと思ったら、ちょっと、変化しているボールだと、分かってしまったことの、失望感」

 

「実は、わろてんかは、前作のひよっこと似ているところがあり、その代表的な共通点が、双方に漂う、少女漫画的な雰囲気・・・しかし、ひよっこが、一世代前の少女漫画であるのに対し、わろてんかは、三世代前の少女漫画でしかない」

 

「また、ひよっことの比較になってしまいますが、ひよっこのスタッフには、紛れもなく『遊び心があった』、しかし、わろてんかのスタッフにあるものは(今のところ)、『遊び心があるように思われたいという、願望』でしかない」

 

「理由は、私には分かりませんが、わろてんかは、『熱狂的ファンが出来にくい作風』のようで、このドラマを好意的に観ている人は、『朝ドラだから観ている』、『出演者の○○のファンだから観ている』、『朝ドラ・東西イデオロギーで、西側の人だから観ている』という人ばかりで、純粋に、わろてんかが好き、という人は、残念ながら、かなり少ない?」

 

 

 ・・・という訳で、わろてんかの評判が、お世辞にも良くない理由について、私の勝手な見方ばかり、13ほど、指摘してみました。

 

 実は私、もっと、いくつも、いくらでも、思い付くつもりで、書き始めましたが、意外と、思い付かなかったので・・・もしかしたら、このドラマ、ちょっと、軌道修正するだけで、普通に、視聴率20%を狙える、ポテンシャルがあるのかも知れません。

 

 例えば、このドラマの脚本家の目標である、「1話で3回、笑わせる」というノルマを、「1週で、3回までしか、『偶然』を頼らない」というノルマに変えるだけで、随分と、わろてんかのクオリティーは、上がる気がします。

 

 それでは、最後になりますが、私個人は・・・脚本家のオリジナル設定で、事実とは違い、「ヒロインの故郷が、兵庫ではなく京都に、ヒロインの実家の生業が、米屋ではなく薬問屋に、そして、ヒロインが、庶民ではなく、お嬢様になったこと」の意味が、後々、「なるほど」と思えるような物語になればいいなと、期待しながら、これからも、わろてんかの視聴を、続けようと思います。

 

 

  読者の皆さん、長々と、私のつまらない小理屈に、お付き合い頂き、本当に、有り難うございました。機会があれば、また、訪問してください。