詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

ユニバーサル広告社(第2話)は、たとえ、視聴率は低くても、観るべき価値がある、という感想です!


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 テレビ東京「ユニバーサル広告社~あなたの人生、売り込みます~」の第2話を観ました。

 

 第1話~第2話で、ドラマ上の経過時間が、数日(もしかして、2日?)という、他の脚本家ではあり得ない、このドラマの脚本家の岡田恵和氏らしい、スローな展開が、またも(朝ドラ・ひよっこ同様)、「退屈!」と批判され、視聴率的にも、奮わなかったようですが・・・私は、第1話も、第2話も、充分、楽しめましたし、特に、退屈することもありませんでした。

 

 とにかく、世の中は(日本のドラマ・ファンは)、「エピソードらしいエピソード」と、「物語の急展開」ばかりを求めているようですが、このような状況が続くと、再び、「沢村一樹が記憶喪失となり、色々あって、大女優と同棲する話」を、中盤あたりで、付け足さなきゃいけなくなるかも知れませんが、日本のドラマ界の方向性は、本当に、こんなことでいいのでしょうか?

 

 

 ま、冗談は、さておき、ユニバーサル広告社(第2話)の感想ですが、ストーリーとエピソードの構成でいくと、「結婚式場の二代目社長が、会社にやって来る(広告の相談)」、「商店街の和菓子屋の冴えない息子が、会社にやって来る(広告の相談)」、そして、第2話の大半が「商店街の誰かのお通夜(そして、さくらの過去が明かされる)」というもので、確かに、視聴者によっては、「地味だ、退屈だ!」と感じて、チャンネルを変えてしまうのも、仕方がないのかな、と・・・。

 

 ただ、ストーリーの展開がないだけで、ドラマのテンポ自体は、悪くないうえ、内容的にも、「地方の商店街の再生物語、その人情喜劇」として、一定のリアリティーと、それなりのオリジナリティーを持っていて、そんじょそこらの、今時ドラマより、はるかに、観るべき価値があると、少なくとも、私は思っていますが、「お前の感覚が、世の中からズレているだけ」と言われれば、きっと、そうなのでしょう。

 

「で、ユニバーサル広告社というドラマは、どのへんが良いの?」と訊かれたら、私は、取り敢えず、こう答えます。

 

 演出(監督)が良い、と・・・。

 

 このドラマの、前回のレビューでも、書いたことですが、「ユニバーサル広告社」の演出家は、日本のドラマの演出家には、珍しく、自分の色(個性)を持っている人物です。特に、インパクトのあるシーンとは言い難い、何気ないシーンを、自分色に染め上げる、風景画家的な(凡庸という意味の皮肉ではなく、映像の切り取り方が巧い、という意味)センスがあります。

 

 ゆえに、何気ないシーンばかり描きたがる、岡田脚本との相性も良いようです。

 

 今回の第2話の、演出の良いところは、「お通夜で、会場に人が集まって来る、その過程の描き方」、「集団の中での、杉山たちと、初対面か顔見知りかの違い、その描き方」、「お通夜で、さくらの父(でんでん)が、大きな声を出しても、反応しない席の集団があることのリアリティー」、「杉山の後ろで、主要キャスト(三宅祐司)を埋没させ、エキストラ化させる表現」、「さくらが自分の過去を語る時、十数秒の沈黙、城田(やついいちろう)にかかって来た電話で、仕切り直しさせる」などと、普通のドラマなら、あの半分の時間も要らない、(岡田チックな)長いお通夜のシーンを、視聴者に飽きさせないよう、このドラマの演出家は、エキストラまで、個として、操りながら、全体を見据えているという印象です(下手な舞台とは違って、脇役は脇役で、無意味な存在にもせず、逆に、無理をして、使っている感じもない)。

 

 余談ですが、私は、このドラマの演出家が、一体、何者なのか、全く、知りませんし、変なイメージに囚われたくないので、調べる気もありません。今後も、純粋に、このドラマにおける、演出の良し悪しだけ、語っていければ、と思っています。

 

 

 最後に、「ただ、展開が遅い(早いのが当たり前)」というだけで、何故か、実験的(視聴率は取れない)と思われてしまうような、不思議な時代になって久しいようですが・・・岡田氏には、くれぐれも、沢村一樹を失踪(記憶喪失に)させないように、ブレない姿勢を守り通し、それでも最後は、視聴率に魔法をかけて、及第点の二桁を、見事に、達成して欲しいものです。

 

 広告と一緒で、「視聴率アップにも、魔法はない」とか、仰らずに・・・。