詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

わろてんか(第39回)、居酒屋で、藤吉と伊能が大喧嘩、その陳腐な結末とは?


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 NHK・朝の連続テレビ小説「わろてんか(第39回)」は、和泉家玄白に見限られ、落語家不在となった風鳥亭、仲間のいろもの芸人だけで、運営は出来ないと考えた藤吉は、大阪の落語界の二大派閥にして、激しく対立中の、「伝統派」の噺家や、「おちゃらけ派」の寺ギンに、落語家を回してもらおうと、交渉するも決裂・・・そんな中、風鳥亭にやって来た伊能と、近くの居酒屋で飲むことになった藤吉、寄席や芸をめぐる話で、価値観が合わず、取っ組み合いの大喧嘩になるものの・・・二人は「あっ」という間に、仲直りし、自宅に帰って、てんと啄子の前で二次会、藤吉は「日本一の寄席をやる夢」、伊能は「自前の活動写真を作る夢」を語り出します。

 

 それにしても、複数のゴロツキを、同時に相手にして、あっさり、片付けてしまう、強い伊能と、風太に喧嘩を売られても、何もすることの出来ない、弱い藤吉が、どうして、この時だけは、互角の喧嘩が出来たのでしょうか?

 

「おてんさんを、幸せに出来るのか?」と言われたり、自分の寄席や、仲間の芸人や、大好きな落語が、伊能に侮辱されたと思って、本来以上の力が出た?いや、そうではないと思います。

 

 これは、私の推測に過ぎませんが、藤吉は、飲めば飲むほど強くなる、「酔拳の使い手」という、設定なのだと思います(髪型も、昔の香港スター風ですし)。そうでなければ、気持ちの問題だけでは、あの強い伊能と、弱い藤吉が、喧嘩で対等に渡り合うことなんて、絶対に無理なはずですから・・・。

 

 

 急に強くなった藤吉(あるいは、弱くなった伊能)の原因より、更に不可解なのは、喧嘩の直後、急に、二人が、親友のようになってしまったのは、何故?ということですが・・・おそらく、四半世紀(半世紀?)以上前の、青春映画などにあった、二人の男が喧嘩となり、土手などを、派手に転がりつつ、最後は、笑顔で向かい合って、「やるじゃないか!」、「お前の方こそ!」と、お互いを認め合い、逆に、仲良くなる(男の友情が芽生える)という、あの往年のパターン・・・筆者のような、二十世紀生まれの人間なら、まだ、脳内補完出来ないこともないですが、二十一世紀生まれの若者たちにとっては、男女を問わず、「え、話が飛んじゃった?」と、戸惑ってしまうことは、まず、間違いないでしょう。

 

 

 わろてんかの脚本家の、吉田智子さん、朝ドラで、脚本を書いてきた人の中では、比較的、若い方なのかと、私は勝手に、思っていましたが・・・もしかしたら、倉本聰氏あたりと、同い年くらいの方なのかも知れません。