詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

わろてんか(第65回~第66回)、このドラマの脚本家は、描けないシーンが、多過ぎる?それとも、省略の天才?

 

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 NHK・朝の連続テレビ小説「わろてんか(第65回~第66回)」は、団真が「われても末に、あわんとぞ思ふ」という、意味ありげな書き置きを残し、姿を消してしまう・・・川にでも身投げするのではないか、と皆が心配をする中、てんは、団真が居なくなったことを、急いで、お夕にも伝えに行く・・・夜、亀井が、川をボーッと眺めていた、団真を発見し、風鳥亭に連れて帰る、「どうせ、死ぬ気なんてないくせに!」と、彼を責めるお夕、「さっさと、団吾のところへ戻って、嫁はんにでもしてもらえ!」と、言い返す団真、二人の仲が、元通りになることはなかった・・・日付は変わり、芸人四銃士が「ストライキ終了宣言」を発表、キースとアサリの、どつき漫才も披露され、風鳥亭は、彼らのストライキ以前の明るさを、やっと、取り戻す・・・団真とお夕は、好き合っている、だから、何とかしてやりたい、てんが、藤吉に相談すると、団真が、密かに、崇徳院の稽古に励んでいることを知っていた彼は、ある寄席の企画について話をする・・・藤吉の企画を実現させるために、てんは、団吾の元に向かい、団真が高座に上がるので、団吾も来て欲しい、出来れば競演して欲しい、そのことは、お夕にも話をした、と述べると、団吾は、満更でもない顔をする・・・団真が風鳥亭の高座に上がる当日、お客はまばらなうえ、そこに、団吾の姿も、お夕の姿もなかったが、団真の落語「崇徳院」が始まろうとしていた、その直前、赤い人力車に乗った団吾が現れ、大勢の客を引き連れて来る、そして、団吾は前座代わりに、舞台の上で、踊り出し、客を暖めてから、楽屋へと去っていく、二人の思い出のおまじない(背中を扇子で2度叩く行為)をした後で・・・団吾の「崇徳院のような、男女の愛だの、永久の契りだの、ワシは信じてないし、語れない、だから、ここにいる、ワシの恋敵にして、ワシの兄弟子に、ワシらの師匠の十八番、崇徳院をやってもらいます」との紹介を受けて、団真は「月の井団吾、ケッタイなやつでしょ?あいつが一門に入った頃は、死んでまえ、思ってました、初めて会った時から、天才やったから・・・でも、この崇徳院だけは、あの団吾にも負けやしまへん」と、挨拶をする・・・団真の崇徳院は、芸を見ることに関してだけは自信がある、藤吉も「さすが、団吾師匠の兄弟子や」と唸らせる、最高の出来で、いつの間にか、客席にいた、お夕も、噺家としての夫の復活に感激する・・・団真とお夕のヨリが戻ったことと、今日の興行が成功したことで、満足そうな藤吉と、てんのところ(事務所)へ、借金取りに追われて、団吾がやって来る、彼は、風鳥亭も、席主夫婦も気に入り、ここでなら面白いことも出来そうだ、と専属になる話を受け入れるという、更に、契約金も、一万円と、この間の約束の半分の額でいいとのこと・・・ただし、今、ここにいる借金取りに帰ってもらうため、すぐ、金を渡してくれるなら・・・という話なのですが、このエピソードに関してだけ言えば、別に、つまらなくはないです、ただ、このドラマの脚本家の、吉田智子氏の、「自分がイメージ出来るシーンをくっつけるだけで、必要であることが分かっていても、ちゃんと、イメージ出来ないシーンは、面倒だから、省略してしまおう」という姿勢は、どうなんでしょう?しかも、吉田氏がイメージ出来るシーンの大半は、パクリとは言わないまでも、あのドラマ・映画・漫画(たいがい、古いやつ)から、インスピレーションを受けたんだろうな、というものばかりですし・・・。

 

 そんな、コース料理を頼んだのに、デザート(しかも、どこかで見た、賞味期限の切れかかったやつ)ばかり出て来る、本当の意味での、シェフ(脚本家)のきまぐれレストラン・ドラマ「わろてんか(第65回~第66回)」で、筆者が気になったことについて、いくつか、指摘してみたいと思います。

 

 

「大の男(団真)が、たった一日、居なくなっただけで、どうして警察沙汰にする?しかも、ご丁寧に、警察から『まだ、見つかってない』という電話連絡が・・・そして、何が凄いって、この警察からのあり得ない電話、ドラマ上、特に、なくてもいいものでしかなかった!」

 

「団真の崇徳院の下の句から、川の流れを連想し、そこから、身投げを連想し、心配になって、あちこち、みんなで、探し回る・・・川の流れから、身投げという、派手な論理の飛躍に、『わろてんか的強引展開』の全てが、象徴されている?」

 

「夕方、消えてしまったことが分かった団真、夜中には、川でボーッとしていたところを、亀井に発見され、戻って来る・・・小学生の家出?」

 

「お夕の、『団真に、駆け落ちをけしかけたのは私』という反省からの、『死ぬ気なんかないくせに、私へのアテツケやろ!』という、彼への責め立て、そして『生きてた』と安堵する・・・複雑な女心の話?というより、心に問題を抱えた女の話?」

 

「お夕の『(団真が自殺を匂わして、消えたのは)私へのアテツケやろ!』という台詞・・・本来なら結婚するはずだった、人気者の団吾の、別邸に住みながら、これみよがしに良い格好している、お夕に、そんなことを言う、資格はないかと」

 

「芸人四銃士のストライキ終了宣言・・・今回の件で、別に、彼らがいなくても、北村笑店(風鳥亭)にとって、痛くも痒くもない事実が、ハッキリしただけ?」

 

「風鳥亭で、団吾と団真の夢の競演をやりたいと、団吾に頭を下げる、てん・・・ちょっと、前まで、一緒の高座に上がりたくないと言っていた、団吾が、それを受け入れる・・・もちろん、我らが、わろてんかですから、その心情の変化についての描写は、『一切、ナシで、ございま~す!』(小野文恵アナ)」

 

「人通りの少ない端席のはずの、風鳥亭の前に、団吾の赤い人力車が止まると、四方から、大勢の人たちが・・・それにしても、団真の、万々亭食い逃げ事件の時は、誰も、彼が、偽団吾と気付かなかったのに、今は、この辺りの人々が、みんな、団吾の顔を知っているのは、何故?」

 

「団吾が『入りなはれ!』と、客引きしたお陰で、風鳥亭は、かつての文鳥の時以上の超満員・・・それでも、お客の数は、百人にも届かないようなので、昼・夕・夜の興行を、二軒でやろうが、三軒でやろうが、とても、団吾を雇えるレベルではない」

 

「団吾と団真の、思い出の、背中を扇子で2度叩く、おまじない・・・ここでやらないで、もっと前に、回想シーンでやって置いて、このシーンでは、回想シーンなし、団吾がおまじないをして、団真がハッとするだけで、良かったかと」

 

「高座が終わった後の、団真とお夕の、和解のやり取り、無駄に説明的なところがなくて良かった?おそらく、脚本家の計算・・・ではなく、単に吉田氏が、天然自然に、これといった台詞が、思いつかなかっただけ?」

 

「団吾が、北村笑店の専属になっても、良いと思った理由が、面白い高座をやる寄席と思ったから、ケッタイな女子(てん)がいるから・・・もちろん、視聴者に、そう(団吾と同じことを)思わせるだけの、エピソードはナシ、これぞ、我らが、わろてんかスタイル!」

 

「今すぐ、借金取りに渡さなければいけない、団吾の契約金の一万円は、どうした?どうせ、現実的には、集められない額なのだから、何話か前の時に、藤吉が誰かに『何とか、半分は工面出来た、でも、二万円には、まだまだや』みたいなことを、話させていた方が良かったかも・・・ま、どちらにしても、視聴者から『そんな金、ある訳ない!』と、突っ込まれる道は、避けられないが」

 

「文鳥の時は、伊能のツテと、新聞記者になった楓がいたから、新聞に載ることが出来た訳だが、今回は、どうして記事になった?誰かが、『これで団真さんも、大阪中の寄席から、声が掛かるだろう』と言っていたことから、今後、団真は、風鳥亭には出ない(てんと藤吉の側にはいない)、つまり、『北村有起哉は、あくまでゲストですよ』という、視聴者への間接的なメッセージ?そして、この記事のために、楓が登場しないのも、『岡本玲は、あくまでゲストですよ』という、視聴者への間接的なメッセージ?」

 

 

・・・以上です。

 

 読者の皆さん、私のつまらない、長いばかりの小理屈、最後まで、お付き合い頂き、本当に、有り難うございました。

 

 機会があれば、また、訪問してください。