詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

わろてんか(第86回~第87回)、藤吉が急に倒れる、隼也が急に老ける、風太がトキに、メリー・ミー!


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 NHK・朝の連続テレビ小説「わろてんか(第86回~第87回)」は、1929年の初冬、時代は、大きな変化を迎えていた、てんと藤吉が住んでいた家は、改築され、ガスや水道が引かれ、生活の利便性が向上・・・ラジオ放送の開始により、大阪では、大変な体操ブームとなり、てんや芸人たちも、その流行に乗る・・・北村笑店の東京進出も、好調で、キースとアサリ、歌子と吉蔵も、向こうの寄席で、漫才をするため、上京するように・・・一見、順風満帆にみえる、北村笑店だったが、「落語は、寄席の花形」と考える、社長の藤吉と、「漫才中心の寄席をやりたい」と考える、大番頭の風太の間で、二人の意見は、対立・・・藤吉の悩みは、仕事だけではなく、家庭にもあり、息子の隼也が、学校のテストで、白紙の答案を出したことを、問い詰めた時、「勉強しても、(どうせ、家を継ぐのだから)意味がない」、「(本音を言えば)家なんか継ぎたくない」、「お父ちゃんだって、若い頃は、旅芸人したり、やりたくもない米屋を継いで、潰したやないか!」と、反論され、藤吉は、どうしたらいいのか(隼也が、何を考えてるのか)、分からなくなる・・・ある時、藤岡屋の支店に、隼也がいることを知らせに、りんが、てんのところへやって来る、そして、りん自身が、家業(藤岡屋)を継いだ頃の経験から、「隼也は、放って置く方がいい(一人で考える時間があった方がいい)」と、てんに忠告し、帰って行く・・・藤吉が、隼也の部屋で「勉強もせんで、こんなものばかり」と、彼の本を片付けようとした時、藤吉は意識を失い、そのまま、畳の上に倒れ、病院へと運ばれる・・・藤吉の病気は、脳卒中で、医師の話では、「意識が戻るのを待つしかない、戻っても、手足に麻痺が残る可能性がある」とのことで、てんは、ベッドで眠る藤吉の手を、懸命に擦り続ける・・・翌日、藤吉のお見舞いに、隼也・りん・風太・トキ・亀井・キースたちが、次々とやって来て、それぞれの思いを、眠ったままの藤吉にぶつけていく・・・風太は、大番頭として、藤吉不在の北村笑店を盛り上げようと、幹部たちを集めて、会議を開くが、「社長のために、今より、会社を繁盛させたい」という、思いはあっても、それを実現させるための、具体的な策はなかった・・・藤吉のところに、お見舞いにやって来た、リリコが、笑顔を絶やさず、藤吉を看病するてんを見て、「アンタ、偉いなあ、こんな時でも、笑っていられて・・・ウチは、涙が出るばかりや」と感心し、てんを誉める・・・自宅に戻った、てんが、藤吉と結婚式をした時の記念写真を、一人、眺めていると、病院(藤吉のお見舞い)帰りの、伊能がやって来る・・・てんが、伊能に、お茶を出そうとした時、看病疲れで、腰が抜けたようになった彼女は、両膝を床につけ、「悲しゅうて、心細うて・・・」と弱音を吐いた後、「今、ウチが泣いたらアカン、藤吉はんに、叱られます」と、気持ちを奮い起たせると、てんの傍に来た伊能が、一瞬、躊躇しながらも、彼女の肩に手をかけ、「たまには、泣いてもいいんじゃないかな?」と、彼流の励ましの言葉をかけると、てんの瞳から、涙がこぼれる・・・という話なのですが、第86回・第87回の感想というよりは、第16週「笑いの新時代」の感想(印象)になりますが、今回の話も、週の序盤に、エピソードを複数、放り込んで、週の終盤(土曜日)には、全てが解決しているという、お馴染みの展開でしたが、これまでと違うところがあるとすれば、放り込んだ複数のエピソードが、ちゃんと、関連性のあるもので、土曜日に、一気に解決してしまったところで、特に、違和感のあるものではなかったことでしょうか?

 

 今週、放り込まれたエピソードは、「隼也が藤吉に対して反抗する」、「藤吉が脳卒中で倒れる」、「落語(藤吉)対漫才(風太)」、「ラジオ(団吾)対寄席(風太)」、「風太とトキの恋が成就する」の5つでしたが、これまでのわろてんかのように、「どうして、ここで、このエピソードを放り込んだ?」と、首をかしげるようなものではなく、全て、エピソードが、しっかりと繋がっています。

 

 個人的には、団吾のラジオ絡みのものが、一番、良かったと思います。モチーフの吉本せい(吉本興業)の史実エピソードが、比較的、上手に、このドラマの中に織り込まれたのは、第16週にして、今回が、ほぼ初めてのような気がします。

 

  ただ、脳卒中で倒れた藤吉と、お見舞いに来た人たちとの会話は、てん・しず・リリコを始め、陳腐だったり、チグハグだったり、あってもなくても、いいものだったり・・・また、「笑い(笑顔)」というワードに囚われ過ぎて、おかしなことを言ってるだけのに、脚本家自身は、「名言」と、勘違いしていると思われる台詞も、複数、あります。

 

 脚本の問題だけではなく、演出の方の問題も、言わせてもらえば、「てんの、藤吉の腕の擦り方は、おかしい(あれで、血流が良くなる訳がない)」という、批判が多いようですが・・・筆者が、もっと、致命的だと思うのは、病院に(あるいは、伊能の会社に)、存在しているはずの、大勢の人間が、あの建物の中に、ちゃんと、存在しているように、描けていないことでしょう。

 

 まともな演出家なら、少人数のエキストラを駆使するだけで、どうにでもなる問題に、過ぎないはずですが・・・。

 

 

 
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  わろてんかの中で、何故か、隼也だけが、脱皮(役者交代)し続け、ついに、母親のてん(葵わかな)より、老けて見える役者(大八木凱斗)が登場・・・隼也は、成虫になると、成田凌になるようですが、別に、この子役のままで、30歳くらいなら、普通に、いけそうな気がします・・・。

 

 


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  キースとアサリに、乗せられて、トキに花束とドーナツを渡し、「メリー・ミー!」を繰り返す、風太・・・しかし、トキは、この行為が、彼のプロポーズだとは気付かず・・・アサリ「英語が通じなかったか」、キース「察しが悪いんかな、元々、風太に、気がないんかな」・・・作り手は、おもしろシーンのつもりで、やっているのでしょうが、この状況で、これがプロポーズと気付かない女って、一体・・・せめて、花束はナシで、風太から「メリー・ミー」と言われ、ドーナツを受け取ったトキが、「メリー・ミーって、名前の店で買ったんか?今度、ウチにも、場所、教えてな!」と言い残して、立ち去ってしまうという、シーンだったら、分からないでもないんですが・・・。