詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

坂元裕二「anone(あのね)」は、哲学?文学?それとも、ただの失敗作?


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 日本テレビ「anone」の、第1話を観た感想です。

 

 周囲から、ハズレと呼ばれる、家族のいない主人公・ハリカを始め、余命のない人、死にたい人など、不幸な人たちばかり、次々と出てきて、現実的には、あり得ない展開の中、各登場人物たちが接点を持ち、連鎖反応を起こしながら、日常(小さな出来事)と、非日常(大きな出来事)が交錯する、暗いお伽噺のようなドラマ・・・これが、筆者の「anone」に対する、第一印象です。

 

 好きか嫌いかで言うと、「どちらとも言えない」、面白いかつまらないかで言うと、「どちらとも言えない」という、「何とも、答えに困るタイプのドラマ」と言えるでしょう。

 

 このドラマの脚本家(坂元裕二氏)は、この物語を成立させるために、かなり、「偶然」を活用しているため、「雑な強引展開」、「リアリティーがない」と、批判する人も少なくないようですが・・・おそらく、坂元氏は、「雑じゃない、きちんと、計算した、強引展開」、「(この作品は、ファンタジーのようなもので)初めから、リアリティーを気にしていない(また、リアリティーのない物語だからこそ、感じるリアルもある)」と、反論するかと思われます。

 

 ちなみに、第1話の中の、強引展開のひとつ、テトラポットへ、大金を探しに行ったハリカたちと、愛犬を探しに行った男女が、接点を持つことで、一方は、仲間割れを起こし(友人を失い)、もう、一方は、愛犬と再会する話は、どこか、お伽噺めいていて、面白いうえ、ここから、更に、別の登場人物たちとの連鎖反応が・・・たとえ、偶然を乱発していたとしても、ハッキリ言って、思いつきで(きちんと、計算しないで)何とかなる話ではありません。

 

 ハリカの、ネット上の友人・カノンの「地球も、流れ星になればいいのに」という、放送の序盤(中盤?)の台詞が・・・放送の終盤、ハリカの本当の記憶が戻った時、実は、ハリカの言葉だったことが判明する話も、脚本家に、一定の力量がなければ、書けるものではないでしょう。

 

 尤も、ハリカとカノンが、子供の頃、元々、同じ施設にいて、一緒に、脱走を試みたことのある関係だった、という設定自体、納得出来ない視聴者も、皆無ではないでしょうが・・・。

 

  また、このドラマには、各登場人物の、何げない会話の中にも、今後の展開の鍵を握る言葉、ちょっとしたユーモア、詩的表現、哲学的な話がちりばめられ・・・その中に、「坂元さん、自分で思っているほど、大したこと言ってないから、今後は、気を付けて」と、注意したくなる台詞があるのも、事実・・・。

 

 

 最後になりますが、このドラマの最大の魅力は、とにかく、主人公に限らず、全ての登場人物が、本来、関係ない人も巻き込んで、連鎖反応を起こし続けることであり、このドラマの最大の足枷は、第1話から、必要以上に、暗い話にしてしまったことだと、筆者は思っています。

 

 多くの視聴者が、感心せざるえない、究極の連鎖反応で、第1話の暗い雰囲気を、何とか、吹き飛ばして欲しいものですが・・・第2話・第3話を観ても、やっぱり、暗いままでした。

 

 このドラマは、暗いか明るいかで言うと、「間違いなく、暗いタイプのドラマ」と断言して、何の問題もないでしょう。