詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

anone(あのね)の、ストーリーと、テーマについて(第5話まで観た、感想として)

 

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 日本テレビ「anone(あのね)」を、第5話まで観て思った、このドラマのテーマと、ストーリーについての考察です。

 

 両親も弟も、既に亡くなっている、孤独な少女・ハリカと、両親と弟がいるものの、良い関係にあるとは言えない、病気で入院中の(いつ、死ぬか分からない)青年、彦星との恋(?)の行方、そして、偽札が求心力となり、運命的に引き寄せられ、現在、ハリカと共同生活中の、亜乃音・持本・青羽の3人(血の繋がらない家族?)は、どうなっていくのか?これが、このドラマのストーリーの、二大軸であり、最終的に、「ハリカと彦星」、「ハリカと亜乃音」の関係性が、どうなるかにより、このドラマの最大のテーマと言われる、「真実の人間愛」が、どういうものなのか、作者(脚本家)の真意が、判明するでしょう。

 

 とはいえ、ハリカと彦星が結ばれ、ハリカと亜乃音の、家族のような関係が続く、「ハッピー・エンド」になったとしても、ハリカと彦星は結ばれず、亜乃音との関係も希薄になり、再び、ハリカが「孤独な生活」を選ぶ(選ばざるえない)、何とも言い難い、終わり方をしたとしても、主人公のハリカが亡くなってしまうような、「バッド・エンド」になったとしても、視聴者から、「どこに、真実の人間愛があるんだ?」と、突っ込まれることになるのは、まず、間違いないでしょう。

 

「真実の人間愛とは何か?」なんて、主張するのは自由でも、実際のところ、誰も(さすがの坂元裕二氏でも)、分かりゃしないのですから・・・。

 

  このドラマでは、ハリカ・亜乃音・彦星・青羽と、主要な登場人物の、血縁上、法律上の家族が、とにかく、嫌な人たちに描かれていますが、「真実の人間愛」とは、身内らしい、身内の中からは、生まれないものなのでしょうか?ドラマ(作り物、あるいは、この作品に限って)とはいえ、脚本家の思想(家族観)に、かなり、極端なものを感じている視聴者も、少なくないかと思います。

 

 尤も、その極端さが、彦星の家族にしても、青羽の家族にしても、「独特の暗いユーモア」を醸し出していて、筆者個人は、嫌いな方ではないのですが・・・。

 

 

 最後に、第5話のエピソードについて、ひとつだけ・・・ハリカ・亜乃音・持本・青羽の共同生活の、ほんわかした日常に、偽札作りに執着する、中世古(瑛太)が登場することで、急に「非日常的展開」に変わって行く、ほぼラストのシーン、良かったと思います。

 

 彦星とハリカの、「夢の中で、ポイントカードを作った(明日に、淡い希望が持てた)」的なやり取りとか、亜乃音とハリカの、「行くじゃなくて、帰るでしょ?」的なやり取り(つまり、いかにも良いシーン)より、第3話の西海の「発砲・誘拐・自殺事件」みたいな、非日常の話の方が、どうも、私の好みに、合っているようです・・・。