詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

「半分、青い。」の第4回を観た感想は、前々作「ひよっこ」と似ている?


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 NHK・朝の連続テレビ小説「半分、青い。」の、第4回を観ました。


 ヒロインの鈴愛は、小学校3年生、同級生のブッチャー登場、ひとつ下の弟・草太も登場、そして、祖母の廉子は、早くも亡くなっており、彼女を演じていた、風吹ジュンは、表舞台から、ナレーションへ(自分の死も、自分で語ることに)・・・ヒロインの幼少期が、2週間もあるようなので、亡くなる前に、もう少し、廉子に、見せ場(鈴愛との思い出)があっても、良かった気がしますが、それだけ、他の幼少期エピソードに、自信があるのでしょう(かなり、好意的に解釈すればの話ですが)。


 現時点では、このドラマの脚本家の、北川悦吏子氏の作風における、強いクセは、抑え気味かも知れませんが、その分、北川氏自身の「自伝的要素」が、溢れ出している印象で、結果として、時代のノスタルジーに頼る部分が、増量されており、やり過ぎれば、「高齢者と若者」の両極端の層(の一部)から、見放され、視聴率的に、苦戦するかも知れません。


 そして、ノスタルジー、コメディ・タッチ、少女漫画風、会話勝負の脚本(とユーモア)、田舎、上京、商店街、更に、宇太郎の、兄か弟のどちらかは、親戚(一族)の恥ずかしいオジサンと予想され・・・この「半分、青い。」は、悪く言えば(悪く仕上がれば)、前々作「ひよっこの二番煎じ」、良く言えば(上手く仕上がれば)、前々作「ひよっこの改良版」になるような気がします。


 尤も、ひよっこの茂(古谷一行)は、最終回まで、ちゃんと、生き残りましたが、仙吉(中村雅俊)の方は、廉子の例もあるし、中盤くらいまで持てば、御の字という感じしかしませんが・・・。


 おそらく、このドラマの、制作の偉い人たちの間では、「序盤、ひよっことの類似性を、指摘される」ことは、想定済みで、だからこそ、ヒロインに夢を持たせたり、社会的に成功する話にしたのでしょうし、ヒロインの生まれた時代も、北川氏の生まれた時代(もしかしたら、本当に、やりたかった時代)より、後の時代に、ズラしたのでしょう。


「半分、青い。」と、「ひよっこ」の最大の違い、それが最も顕著になるのは、おそらく、ヒロインの恋愛エピソードの時かと・・・北川氏の「クセが強い」感じが、朝ドラ・ファンに、どう受け入れられるのか、とても楽しみです(メチャクチャ、批判されるパターンになるケースも、含めて)。


 最後に、鈴愛の子役の印象ですが・・・制作の偉い人たちの間で、「ペットみたいな、可愛過ぎる(大人に媚びているタイプの)子供はダメ!」、「例えるなら、キャベツを抱えて、あちこち、走り回りそうな子供!」という意見でも通ったのだろう、としか、現時点では、言いようがありません。



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〈あさイチ・本日の朝ドラ受け〉
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 博多大吉「朝ドラの方は、物語が動き出した感じですね」

 博多華丸「プロレスにお詳しい、大吉さん、(イラストで、チラッと、ドラマに出た)ブッチャーに、弱点はないんですか?」

 大吉「ブッチャーの弱点ですか?ま・・・割と、お金にシビア。サインする時、お金を取るみたいな・・・そういう話もありましたけど」

 華丸「(ドラマでは)描けない!」