詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

「半分、青い。」の第6回を観た感想は、「マグマ大使論争」は勃発・終結したが、予告された「朝ドラ・革命」の方は、起きなかった!


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 NHK・朝の連続テレビ小説「半分、青い。」の、第6回を観ました。


 そのあらすじは、糸電話の実験中、自分のせいで、川に落ちてしまった、ぜんそくがある律を、おんぶして、彼の家まで向かった鈴愛が、途中でよろけて、転んでしまう・・・鈴愛たち(ブッチャーと、ナオも一緒)が、律の家に到着すると、彼の母・和子は、転んだ鈴愛の膝に薬を塗ってくれる、そして、川に落ちたくらいで、鈴愛におんぶをさせた律を叱りつける・・・糸電話は、和子に没収され、びしょ濡れの律は入浴、鈴愛たち、残りの3人は、広告の裏を使って、クレヨンで絵を描き始める・・・ブッチャー「(あしたのジョーと、マグマ大使の絵を見て)何でオマエ、そんなに古いのばっかり、知ってるん?本当は、ババアなの?」、鈴愛「父ちゃん、古いのが好きなんや。ウチの食堂の味がイマイチやから、名作漫画を揃えて、客を呼ぶんや」、ブッチャー「ええんか、それで?」と小3の彼が、宇太郎のつくし食堂の運営方針に、疑問を抱いていた頃・・・長らく、禁煙中でありながら、タバコを買いに、自転車で出掛けた、仙吉は、目の前にいたカエルを避けるため、転倒し、晴に付き添われ、岡田医院へ、怪我の方は、大したことなかったが、「あの年代は、ナイーブやで。老いが、一気にやって来る」と先生から、晴が、忠告を受けることに・・・その夜、怖い夢を見た鈴愛が、自分の部屋を抜け出し、晴の布団に入り、話をしているうちに、晴も、鈴愛を妊娠中、宇太郎と、自分の腹部に、コップをあて、糸電話をしていたこと、鈴愛が無事、産まれるかどうかは、腎臓のことなどもあり、半々だったので、不安だったことを語る・・・翌朝、楡野家の朝食中、鈴愛が「糸電話をやっていた時、律が川に落ちたこと」を、遅ればせながら、皆に報告した直後、突然、和子が訪ねて来たので、「何で、朝から来る?怒っとる?」と勘繰りながら、晴は、おそるおそる、玄関に出てみる・・・というものです。



 それでは、「半分、青い。」の第6回の感想ですが、まず、ネット上で話題になっていた、「71年生まれの、鈴愛が、マグマ大使を知っているのは、世代的に、おかしい!」という、いわゆる「マグマ大使論争」に対する、カウンター・パンチがありました(鈴愛が、マグマ大使を知っているのは、漫画好きの父・宇太郎から受けた、世代を超えた影響によるもの)。


 このドラマの脚本家の、北川悦吏子氏からすれば、ネット上で、叩かれれば叩かれるほど、「集まれ、カウンターの餌食たち!」と、きっと、この土曜日が、待ち遠しかったに違いありません。


 もしかしたら、前作の「わろてんか」が、いつでもノー・ガードの、打たれ放題で、カウンターを仕掛けていることなど、殆ど、無かったことから、叩く(批評する)側も、油断していたのかも知れません(そのくらい、普通に、スルーすべき、かなり、単純な罠だったかと)。
 

 他に、第6回で、気になったことは、想像していたより、律の性格が屈折しているのと、想像していたより、和子の性格がしっかりしている(もっと、おっとりの方が良かった)のと、廉子が生まれ変わって、カエルになったのだとしたら、彼女は、見掛けによらず、生前、よほど、悪いことをしたに違いない、ということくらいでしょうか?


 あと、怖い夢を見た、鈴愛が、晴の布団に入り、最後に、「ここは海、布団は舟、海にはワニ!」と空想して、親子3人で騒ぎ出すシーンがありましたが、こういうのが、北川氏的な作風のひとつだとしたら・・・正直、筆者は、尤も、苦手とするところです(一見、ほんわかしているようで、ドライでシニカルな面がある、他のコメディ・シーンや、台詞の方が好きです)。



 最後に、第1週「生まれたい!」全体の印象についてですが、第1回の印象と同じく、次を期待させる(次に、興味を持たせている)という意味で、及第点以上だったかと・・・ただ、北川氏の自負する、「朝ドラの革命」に関しては、「そんな歴史的事件は、起きていなかった」と、断言出来ますが・・・。


 ヒロインが胎児から始まる設定も、話題作りという意味では、成功したと思いますが、なければなかったで、どうにでもなる(考えようによっては、ない方が、もっと、スッキリした構成の、第1週に仕上がっていたかも知れない)ものに過ぎなかったと思います。


 亡くなった人が、ナレーションとして、いわゆる神視点になる(あらゆる人の状況を、何でも知っている)のは、納得出来ても、ただの胎児が、神視点で、ナレーションをするのは、理解し難いものがありますし・・・。


 とはいえ、筆者は、このドラマが「ヒロインの胎児から始まったこと」を、否定はしません。ただ、やたら「斬新だ!挑戦的だ!」と誉めたがる人に対しては、「何のための斬新さ?何のための挑戦?本当に、斬新?本当に、挑戦?」と、疑問を投げ掛けてみたいだけで・・・。



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