詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

「半分、青い。」の第9回を観た感想は、脚本も演出も、前作「わろてんか」とは段違い!


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 NHK・朝の連続テレビ小説「半分、青い。」の、第9回を観ました。


 そのあらすじは、晴とケンカをして、家を飛び出した、鈴愛が、律の家の庭で、例の笛を吹くと、二階の窓から、彼が現れる・・・一方、楡野家では、仙吉と宇太郎が、鈴愛を探しに出掛けようとするが、晴は「どうせ、すぐ帰って来る。行くところなんて、ないんだから」と、つれない・・・鈴愛は、律の家のリビングで、彼と、その両親(弥一&和子)と話をした時、和子から、「腎臓の悪い晴にとって、出産は命懸けだった」など、「良い話」をしてもらうのだが、それが長くなることを恐れた律が、鈴愛を誘って、自分の部屋へ行く(マーブル・マシーンを見に行く)・・・和子からの電話を受け、鈴愛を迎えに来た、晴は、萩尾家の玄関先で、律から、鈴愛の家出の原因ともなった、ゴミ箱事件の真相を聞き(晴の付けた、自分の名前をからかわれたから、怒ったと知り)、彼女は、心を打たれる・・・翌朝、すっかり、仲直りした、鈴愛と晴だったが、鈴愛の左耳の耳鳴りがやまない(左耳が、聞こえにくい)ことが判明し、岡田医院へ行くが、先生から、念のため、名古屋の大学病院で、検査してもらうことを勧められる・・・という内容です。



 それでは、「半分、青い。」の第9回の感想ですが、ネット上などであった、「晴の出産に、宇太郎が立ち会うなんて、そんな時代じゃない!」批判に対する、このドラマの脚本家(北川悦吏子氏)の、カウンター・パンチが、「マグマ大使論争」に引き続き、またも、炸裂(一般例として書いたのではなく、あくまで、晴の武勇伝として書いた)、この調子でいくと、「晴は、腎臓悪いのに、よく2人目(草太)を産んだものだ」批判に対する、カウンター・パンチも、ちゃんと、用意されている可能性が高いでしょう。


 第9回のオープニングの、二階にいる律と、庭に立っている鈴愛の、「律の家に、家出して来たの」、「意味が分かりませんが」のやり取りは、面白いのに、鈴愛の「結婚するか?」に対する、律の答えが「勘弁してください」は、つまらなくはないものの、普通過ぎかも・・・全く、返事になっていない答えの方が、より面白くなったと思います。


 鈴愛が出て行ってしまったのに、何故か、すぐに追わない、仙吉と宇太郎、晴の「どうせ、すぐ帰って来る。行くところなんか、ないんだから」という台詞があるので、男2人が、鈴愛を探しに行かない、最低限度の理由にはなりますが、それでも、やや冷たい印象は、否めない気がします。


 晴の台詞に、「前、鈴愛が家出した時だって、30分もしないで、店の隅にいたじゃない?」みたいなことを足していれば、もう少し、印象も変わったかと思います。


 時折、鈴愛の話に、名前だけ出て来る、マナちゃんという謎の友達・・・幼少期も、大人になっても、最後まで、登場しないパターンも、面白いと思いますが、さすがに、それはない・・・?


 聡明な律の、みんなを気遣った、ゴミ箱事件の真相の説明より、ブッチャーが鈴愛を好き、と聞いた時の、「えっ、そうなの!」の、晴のリアクションの方が、筆者には、ずっと印象的でした・・・。
 

 鈴愛から、「左耳の異変」を報告された晴→岡田医院→宇太郎と晴の会話、電気を消す→名古屋の大学病院で、鈴愛の聴力検査、という流れ(編集)は、特別、画期的なものではないかも知れないですが、回の終盤に相応しい、無駄のない、スピーディーな、分かりやすい展開で、前作「わろてんか」にはなかったセンスと、断言出来ます。


 最後になりますが、聴力検査中の、鈴愛の表情が、不安でもなく、矛盾した気持ちが相反する、複雑なものでもなく、とても楽しげだったのが、良かったと思います。


 ナレーションで、もう、鈴愛の左耳は、殆んど聞こえない、という説明が、観る側にはあったので、彼女の健気さを引き立たせる演出として、成功していたし、鈴愛の子役の演技も、とても良かったと思います。




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(本ページの情報は、18年4月時点のものです。最新の配信状況は「U-NEXTサイト」にて、ご確認ください)