詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

第20回「半分、青い。」は、受験勉強に専念する律、秋風羽織に専念していた鈴愛の、就職・面接試験!


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 NHK・朝の連続テレビ小説「半分、青い」、第20回のあらすじ&感想です。



 つくし食堂に、青山セントラルリゾート開発の小倉が、「岐阜サンバランド」は、資金繰りの問題で、建設計画が中止になったことを、お詫びにやって来る・・・学校で、英語の授業の時、メモを小さく折り畳み、後ろの席の生徒に渡し、ナオに回してもらう鈴愛、彼女からの返事が来て、読もうとしたところで、先生に見つかり、「ワッツ、ズィス?」と問い詰められ、その内容を読み上げられたうえ、最後は、教科書で頭を叩かれる・・・東大を目指している律は(大学に進学するブッチャーも)、受験勉強に専念、進学しない鈴愛が、暇を持て余すだろうと、秋風羽織の「いつもポケットにショパン」という、少女漫画を貸してくれる・・・これまで、少年漫画しか読んでこなかった、鈴愛だったが、「律が、秋風羽織の漫画を、いっぺんに貸さないのは、ほんの5分でも、私と会えるから?」などと、勝手な空想をし出すほど、秋風羽織の影響を受け始める・・・もう、夏も終わろうとしていた頃、鈴愛は、律の父・弥一が、体育祭の時、卒業アルバムのために撮った、鈴愛・律・ナオ・ブッチャー、いつもの4人組の白黒写真を眺め、「本当は、4人で遊びたかった。私たちが子供でいられる、最後の夏なのに」と、ぼんやり考えていた・・・しばらくして、鈴愛の、就職の面接の日がやって来た・・・廊下で待機する鈴愛、名前が呼ばれ、椅子から立ち上がり、返事をし、面接会場のドアをノック、「失礼します」とドアを開け、丁寧に礼をして、静かにドアを閉め、面接官の方へ進むものの、つまづき、倒れ、「やってまった!」と顔を上げ、この救いのないバツの悪さを、彼女は笑って、ごまかすしかないのだった・・・というあらすじです。



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 それでは、ここからは、第20回「半分、青い。」の、筆者の感想です。



 岐阜サンバランドの終わり方、せめて、サンバルックの見積書の話で、ナオの両親のケンカシーンくらい、挟んで欲しかった気がします。


 岐阜サンバランドの話なんて、要らなかった、あるいは、バブルを象徴する話として、安易だった、という批判もあるようですが・・・この話があるから、鈴愛たち、高校生の話ばかりにならないで済んだし(ドラマ全体のバランスが取れたし)、バブルの「あるあるネタ」をやるための、軸にもなった訳で、筆者は、やはり、必要なエピソードだったと思います。



 英語の授業の時、鈴愛が後ろの席の女生徒に、メモを託した時の顔が、絶妙で、あれを見ただけで、永野芽郁のコメディ・センスが、ここ何代かの、朝ドラ・ヒロインの中で、ナンバー1であることが分かる、良いシーンだったと思います。


 先生に「何や、コバヤンに拷問したんか?」と言わせる展開の脚本も、さすがでしたし・・・。



 楡野家と木田原家が、縁側で花火をするシーンで、線香花火のアップ、スローモーション、飛び散る火花は、ハッキリ言って、要らなかったかと・・・これは、このドラマを象徴するものではなく、どのドラマにもある、夏の終わりの寂しさや、ある状況の終わりを象徴するものに過ぎないので、無駄に、意味ありげなことをする必要など、なかったかと思われます。



 最後になりますが、鈴愛の「私は、ここ(窓)から見える青空が好きだった。ナオと駆け降りる、階段の途中の踊り場の青空、四角い青空、これが私の青春だ」は、率直に、良い台詞だと、筆者は思ったので、言わせてもらいますが、もし、これから、卒業式のシーンが、少しでもあるなら、その時まで、とって置いても良かったかと・・・それとも、鈴愛たちの、卒業式の時には、我々、視聴者を、もっと、感心させる、とって置きの台詞が、ちゃんと、用意されている・・・?