詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

第23回「半分、青い。」の感想は、萩尾家に、鈴愛が来たりて笛を吹く!


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 NHK・朝の連続テレビ小説「半分、青い。」、第23回のあらすじ&感想です。



 早朝、鈴愛が、初めて描いた漫画を、律に見せるため、彼の家へ行き、庭で、例の笛を吹くと、代わりに、和子がやって来る・・・萩尾家のリビングで、和子と話をする鈴愛、律に秋風羽織を教えたのは、和子であること、彼女は、本気で、律がノーベル賞を取ると、信じていることを知る・・・そこへ、弥一が現れて、鈴愛の漫画を手に取るが、「コレ、最初に見せるべきは、律なんやないの?」と言われ、納得した鈴愛は、まだ、寝ている律の部屋へ行き、少し話をするが、学校の時間を考慮して、やっぱり、漫画を持って、帰宅することにする・・・夕方、喫茶ともしびに、いつもの4人組が集まり、鈴愛の漫画を読む、その感想は、概ね、好評だった・・・夜、家に帰ると、今度は、家族全員に、自分の漫画を見せる鈴愛、漫画好きの宇太郎に、「これは、オレの漫画教育のたまものやな」と言わせ、感激させる・・・この時、律から電話が来て、鈴愛は、彼が、東大を諦め、京大を目指していることを聞くが、その話は、すでに、ブッチャーから聞いていたうえ、東大へ入って、ノーベル賞を取る話も、鈴愛の夢ではなく、和子の夢だったので、特に、ショックはなかった・・・萩尾家のリビング、和子と弥一を前に、進路の変更を伝える律、明らかに、和子は不服そうだったが、律が、鈴愛のアドバイス通り、「日本のノーベル賞受賞者は、東大より、京大の方が多い」という話をすることにより、和子の態度も、変わっていくのだった・・・鈴愛は、早くも2作目の漫画を描いていた、そして、完成すると、また、律の家へ行き、庭で笛を吹く、時刻は、まだ、早朝の4時半だというのに・・・という、あらすじです。



 それでは、ここからは、第23回「半分、青い。」の、筆者の感想です。



 鈴愛の「私、漫画出来たんです。違う。私、漫画描いたんです」という台詞は、無駄そうにみえて、彼女には、独特の言語感覚がある、それが漫画で活かされるという、前フリのひとつなのかも知れません。



「どうして、律は、男の癖に、少女漫画を読んでるの?」という、ごく一部の視聴者の疑問に、「和子が秋風羽織のファンで、勧めてくれたから」という答えが・・・ま、男であっても、少女漫画を面白いと思える感性の持ち主、そういうキャラ設定と、開き直ったところで、大した問題ではなかったと思いますが・・・。



 1989年の時点で、村上春樹が、ノーベル文学賞の候補になると思っていたなんて、何と、先見の明がある、和子・・・。



 自分の恋愛をモチーフにした漫画なのに、家族全員(祖父にまで)見せてしまう鈴愛、それが彼女のキャラクターなのでしょうが、その割には、別に、恋人でもない、律との電話の内容は、聞かれたくないというのは・・・コバヤンのことは、ただの笑い話、律のことは、無意識に、恋愛感情が働いている(だから、家族にも聞かれたくない)という、設定なのでしょうか?



 鈴愛と律の電話での、律「実は」、鈴愛「ん、告白か?」、「好きだ、鈴愛」、「冗談やな?」、「うん、冗談だ」というやり取り・・・タイミングが、今じゃなかった気がします(視聴者が、すぐに冗談と分かる状況で、使わないで、後のために、取って置いた方が、良かったと思います)。


 この時の2人の電話、結構、情報量多めだったので、ここと、ナオの別れ話は、削っていた方が、スッキリしたかと・・・。



 最後になりますが、ナレーションの「夢を見るのは、素敵です。私には、何もないと思うか?だからこそ、何にでもなれると思うか?その人、次第です」という台詞、一瞬、名言のようですが、「私には、何もない」、「だからこそ、何にでもなれる」だなんて、「とんでもない、論理の飛躍!」としか、筆者には思えなかったです。