詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

今更ですが、夏目漱石「夢十夜」を、お勧め(紹介)する記事です!


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「こんな夢を見た」で始まる、この小説は、夏目漱石にとって、完全な夢でもなければ、完全な創作でもない、作者の無意識から飛び出した、虚無の世界の一角であり、その文章化であり、その内容は、多くのエピソードに死がチラつく、暗いものではあるものの、案外、喜劇的なところも、なくはない気がします(筆者)。



 ・・・こんな夢を見た。

(第一夜) 誰かに、関係性を問われれば、無関係と言うべき、死にたがっている女と、死後(百年後)、再会をするという、無茶な約束をした男・・・本当に、死んでしまった女の、墓の傍で、唐紅の天道が、東に現れ、男の頭を通り、西に消えていくのを数えながら、「自分は、女に騙されたのではなかろうか?」と、疑心暗鬼になりながらも、男は、百年間、女を待ち続ける。



 ・・・こんな夢を見た。

(第三夜) 六つになる、盲目の子を背負う父親は、話をすればするほど、大人びた、皮肉屋の、どこか予言者めいた、この子のことが怖くなり、どこかへ捨ててやろうとすら、頭によぎる・・・夜、雨、暗い森の奥、捨てる気でいた、我が子を背負い、辿り着いた、杉の根で、父親は、我が子から、知りたくもない、前世の罪と因果を告げられる。



 ・・・こんな夢を見た。

(第四夜) 床几に座って、一人、煮しめを頬張りながら、酒を飲んでいた爺さんは、誰にも、歳を言わない、どこに住んでいるかも、どこへ行くのかも言わない・・・爺さんは、子供たちを相手に、細長く縒った手拭いを、蛇に変えてみせると、真鍮製の笛を吹き、「今になる、蛇になる、きっとなる、笛が鳴る」と唄いながら、川の方へ行き、中へ入り、膝、腰、胸と、水に浸かりながら、向こう岸へと歩き続け、やがて、その姿は、見えなくなってしまう・・・。



 ・・・こんな夢を見た。

(第七夜) 黒い煙を吐き、凄まじい音を立て、突き進む、大きい船に乗っていた男。いつ、陸に上がれるのか?一体、どこへ行くのか?そんなことも知らない中、船内に、どれだけ、異人の乗り合いがいたところで、とても心細かった・・・男は、こんな船に乗っていても、つまらないと感じ始めていた。そして、ある晩、死ぬ決心をし、思い切って、甲板から、海の中へと飛び込んだ・・・その刹那、急に命が惜しくなった、この男は、無限の後悔と恐怖とを抱いて、黒い波の方へ、静かに落ちて行った。



 ・・・こんな夢を見た。

(第十夜) パナマの帽子が自慢の庄太郎は、水菓子屋で出会った女に、電車で連れて来られた、広い草原にある、絶壁の上で、「飛び込むか?豚に舐められるか?」という、とんでもない選択を迫られる・・・豚が大嫌いで、どちらも決断出来なかった、庄太郎に、突然、一匹の豚が襲って来たが、洋杖で、その豚の鼻を打つと、豚は勝手に、谷底へと落ちて行った(これは、この世界の法則でもあった)、安堵するのも束の間、すぐに、二匹目、三匹目の豚が、襲って来る。ふと、庄太郎が、広い草原を見回すと、幾万匹か数え切れない豚が、群れをなし、ずっと、鼻を鳴らし続けていた・・・庄太郎は、必死になって、七日六晩、豚の鼻を、杖で叩き続けた。そんな彼の勇姿を、ずっと見ていた、健さんが、彼のパナマの帽子を、狙っているとも知らずに・・・。




 他人の、眠っている時に見た夢の話を、退屈せずに聞いていられるのは、ひとつの才能とまで、言い切る人もいますが、こんな夢なら、その選ばれし才能の持ち主じゃなくても、ずっと、聞いていられる・・・?



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