詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

今更ですが、太宰治「きりぎりす」を、お勧めする(感想を語る)記事です!


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 主人公「私」の、画家である夫は、1度も、自分の絵を、展覧会に出品したことがない、美術学校を出たかも怪しい、貧しく、酒飲みで、無口、オマケに左翼の、身内からも、愛想を尽かされた男・・・しかし、妻である私は、そんな彼の、俗世間の価値観とは無縁の、芸術家としての資質(姿勢)に惚れ込んでいた・・・私は、夫の立身出世など、望んではいなかった、結婚したばかりの、貧しいアパート暮らしの2年は、毎日、明日の計画で胸がいっぱいになり、質屋や古本屋にも通い、良い料理を発明し、とても、張り合いがあって、楽しかった・・・しかし、夫の絵が売れるようになり、展覧会を開いたり、新聞や大家に認められたり、大金が入るようになると、私の生活は、急につまらなくなり、夫に、どれだけ大事にされても、自分が飼い猫になったようで、嫌な気がした・・・そして、何より嫌だったのは、夫が、お洒落になったり(金歯を入れたり)、お喋りになって、人の陰口を叩いたり、私の話を自分の受け売りにしたり、絵の注文主と値段の交渉をしたり、新聞や大家の評価を気にし出したり、住む家や、身の回りの物に、こだわるようになったり、私の家柄のことで、先生に「士族」と嘘をついたり、自分が陰口を叩いていた連中と、新浪漫派という団体を作り、ラジオ出演したりと、どんどん、俗物になっていくことだった・・・ある夜、私は、電気を消して、仰向けになった時、縁の下で、虫が鳴いていることを感じ、その幽かな声を、一生、忘れずに、背骨にしまって、生きて行こう(夫とは別れよう)と、誓うのだった。



 絵が売れるようになり、金・地位・名声などを気にする、俗物へと成り下がっていく、画家の夫を見損ない、別れを決心した私(妻)は、最初から最後まで、ひたすら、「夫は変わってしまった」と嘆きながら、彼を批判(生け贄に)することで、自分の品格(無欲さと、趣味の良さ)を誇示する、嫌な女であり、「何でそんなに、お金にこだわることがあるのでしょう?」と言いながら、彼女自身、金の話ばかりしている(夫の金の使い道を、ちゃんと、チェックしている)。


「(彼のところには)私でなければ、お嫁に行けない」、「(彼の絵は)私でなければ、わからない」、「(彼は)死ぬまで貧乏で、わがまま勝手な絵ばかり描いて、世の中の人、みんなに嘲笑されても(中略)、一生、俗世間に汚されずに過ごしていく、そんなお方」という、私(妻)の言葉からわかることは、自分だけが、この駄目な夫の理解者であり、それを支えていくことだけが、生き甲斐だったのに、彼が画家として、成功したことで、生き甲斐を失ってしまい(夫の人生における、自分の価値が下がってしまい)、その不安から、感情的になっている(ゆえに、夫を責めたくなる)、つくづく、嫌な女だということである。


 私(妻)は言う。「この世では、きっと、あなた(夫)が正しくて、私こそ、間違っているのだろうとも思いますが、私には、どこが、どう間違っているのか、どうしてもわかりません」と・・・しかし、彼女の何が間違っているかなんて、わかりきったことである。


 自分より、はるかに影響力を持つ(魅力的といっても、いいかも知れない)、「俗世間」に、夫を奪われたからといって、人間ではない、実態のないものに嫉妬するのは、明らかに、間違っている。


 そして、「お別れ致します」という、私(妻)からの離婚宣言は、実際のところ、筆者には、「負け犬の遠吠え」にしか聞こえないのである。



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