詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

わろてんか(第46回)、「儀兵衛、お前はもう、死んでいる(四十九日)!」


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 NHK・朝の連続テレビ小説「わろてんか(第46回)」は、風鳥亭へとやって来た風太から、父・儀兵衛が、既に亡くなっていることを知らされ、動揺するてん、「京都に帰りたい、父に会いたい」という、気持ちを抱きながらも、勘当された身で、仕事もある彼女は、即座に帰郷とは行かず、周囲の人たちに励まされながら、父との思い出に耽る・・・そんな話なのですが、このドラマの脚本家の吉田智子氏の、空前絶後のおかしな思考回路は、もはや、制作統括やプロデューサーが、「ああしたら、こうしたら?」と意見をして、修正出来るレベルではなく、彼女を脚本に選んだ時点で、ババを引いたと諦めて、わろてんかスタッフは、このまま、彼女と心中するしか、道はないようです。

 

 それでは、てんと藤吉以上に、我が道を突き進む、鬼才・吉田智子氏が送る、死の行進ドラマ(主題歌の、パレードは回り続けてるって、輪廻転生を象徴している?)「わろてんか(第46回)」で、私が気になったことについて、いくつか、指摘してみたいと思います。

 

 

「寄席が終わって、てんと風太が二人きり、今、まさに、話をしている最中なのに、風太の方から、『話がある』という台詞・・・おそらく、『伝えなきゃ、いけないことがある』と言いたかった?」

 

「てん(葵わかな)の、父の死を知ってからの演技、脚本家の台詞のしょうもなさが、足枷になっていたとはいえ、イマイチだったかも・・・これまでの彼女の演技は、ネットで、叩かれまくられなきゃいけないほど、酷くはなかったと思いますが、確かに、このシーンでは、力量不足が(経験不足が)、露呈していたかも知れません」

 

「父に会いたくて、居ても立ってもいられなくなったてんに、風太の『(実家に)行ったらアカン、もう、四十九日も終わったさかい』という、サプライズ報告・・・度の超えた、ブラックユーモアとして、理解すれば、朝から、爆笑?」

 

「風太のサプライズ報告のために、本来、挟むべき、家族に看護される儀兵衛、てんと会わせるべきかを悩む家族、死を迎える儀兵衛を描かなかった?確かに、風太のサプライズ報告は、本当に驚いた(誰も、予測出来なかった)・・・しかし、その驚きの中心にあるものは、このドラマの脚本家の、生死にまつわるエピソードにおける、不誠実さと、ストーリーテラーとしての、稚拙さでしかない」

 

「藤岡家には、しずがいて、はつがいて、りんがいて、りんの旦那がいて、風太がいて、トキがいて・・・いろんな人がいて、誰も、儀兵衛の病気や死について、てんに知らせないなんて、考えられない、そもそも、金の無心の時に、勘当のことも、うやむやになっていたのでは?」

 

「清く明るくポジティブなヒロインという設定なのに、妹の結婚式、行きません、父の葬式、行きません、勘当された身で、実家の敷居を跨ぐのは、金の無心の時だけ・・・こんな画期的な主人公、このドラマの脚本家・吉田氏以外、一体、誰が思いつく?」

 

「てんの兄・新一の死なせ方(退場)も酷かったが、父・儀兵衛の死なせ方(退場)は、見事に、その上をいった・・・噂では、早死にするらしい、てんの夫となる藤吉は、一体、どんな死に方(退場)をさせるのか?楽しみと言えば、楽しみ?」

 

「風太の、『てん、てーん、お前は、ここに居るんや!京都に帰ったらアカン!』って、どうして?儀兵衛が亡くなった今、てんの帰宅を、拒絶する者はいないはず・・・そもそも、じゃあ、お前(風太)の方こそ、何故、ここに来た?四十九日も終わった、理解し難いタイミングで」

 

「てんの回想で、例の雪の華のシーンが・・・所詮、他に、思い出がない程度の、親子関係だった?」

 

「儀兵衛の『てん、雪の華や、花と信じれば、どんな寒空の下でも、花は咲く』という台詞・・・もはや、『氷点下の、わろてんか』でも、信じれば、本当に、花は咲く?」 

 

「啄子の『芸人は、親の死に目には、会えないそうや』という台詞・・・てんは芸人じゃないし、啄子は、元々、芸の世界を軽んじていたうえ、最近、寄席で働くようになっただけの人物、何の説得力もない」

 

「続けて、啄子は『親が死んだ時、子供が笑うて、仕事に打ち込んでるのは、親の本望』とも・・・自分は、仮病を使ってまで、笑顔で芸人を目指していた、我が子を、強引に呼び戻したのに、本当の病気で、親を亡くした、若い娘に、帰ってやれ、と言ってあげられない、矛盾した人物、啄子!」

 

「更に、啄子は『親の、たったひとつの願いは、子供の幸せや、お父さんの、帰って来たらアカンという、その思いを、ちゃんと、考えるんやで』って、どういう意味?とにかく、ドラマ上、このタイミングでは、てんを、帰郷させたくないらしいってこと以外、よく分からないので、脚本家の吉田氏の方こそ、台詞や場面の、ひとつひとつを、『ちゃんと、考えるんやで』と、言ってやりたい」

 

「藤吉が、てんを励ますために、舞台で芸をしている、キースや万丈目の姿を見せる・・・ここで、てんが笑顔で『見飽きたわ!』と言ったら、視聴者は、絶対、笑ったはずなのに、勿体ない」

 

「キースも、万丈目も、その芸に、何の進歩もなし・・・しかし、客は大笑い、きっと、テレビの前の視聴者も・・・皆まで言うのは、不粋なので、言わない」

 

「わざわざ、藤吉が、てんを寄席に引っ張って来たから、キースや万丈目が、彼女を励ますために、何か、サプライズ(彼らのアドリブ)で、笑わせてくれるのかと思ったら、何もなし・・・脚本家の吉田氏、『実は、儀兵衛が亡くなって、既に、四十九日』という、これまでの朝ドラにはない、掟破りのスーパー・サプライズを、思いついた時点で、全精力を使い切っていた?」

 

 


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  とにもかくにも、儀兵衛(遠藤憲一)さん、キャラ殺し・キャスト殺しの、死の行進ドラマ「わろてんか」卒業、おめでとうございます。

 

 同じ視聴率20%ドラマでも、失敗しない、安定の面白さ、コメディー第1でもないのに、わろてんかより笑えて、病院モノなのに、わろてんかより、死者が出ない、テレビ朝日「ドクターX」の方で、頑張ってください!