詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

ひよっこ、アンチの視聴者の、批判(バッシング)パターンについて


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 NHK・朝の連続テレビ小説ひよっこ」は、今週で前半戦が終了、このドラマそのものの視聴だけではなく、SNSやネットの掲示板、ブログのレビュー、有名なメディアや識者の評価を調べてみるのも楽しい、大衆もインテリも、あの時代を生きた人もそうでない人も、良い面も悪い面も、「何だか知らないけど、思わず、論じたくなる作品」として、朝ドラファンの記憶に残るのは、確実になってきたように思われます。

 

 熱狂的なひよっこ支持者と、熱狂的なアンチひよっこの、時には罵倒の応酬にまで発展する、ネット掲示板における論争・・・私の就寝前の、個人的娯楽になって、久しいです。

 

 普通、テレビドラマで、熱狂的な人たち同士の対立構造が生まれると、一般中立の人たちも巻き込まれていって、どんどん、視聴率が上がっていくものですが、ひよっこの場合、「上昇気流に乗った!」と言われる今現在も、視聴率は地味な上がり方しかせず、「ひよっこ七不思議」が、またひとつ増えただけというのは、「らしさの表れ」と、解釈するべきなのでしょうか?

 

 

 で、「ひよっこの悲から喜、喜から悲の展開」くらい、急な話になりますが、この記事タイトル通り、アンチひよっこの批判のパターンについて、いくつか、指摘してみたいと思います。

 

 

 アンチひよっこの中で、何と言っても、一番盛り上がるネタは、みね子の金銭問題です。月の生活費が千円以下なのに、「着せ替え人形状態のみね子(服代どうした?)」、「妹のちよ子の鞄、よく買えたね(最初から少し汚れてたけど、その辺で拾ったという設定?)」、「歯磨き粉の大量購入、月の生活費を、全て注ぎ込んだとしても、不可能(周囲の人たちへの、押し売りに成功していなかったら、銭湯にも行けない)」など、アンチひよっこの人たちは、脚本家の岡田恵和氏よりも、みね子本人よりも、彼女の懐事情に詳しく、ハッキリ言って・・・正確でもあります。

 

 また、ひよっこ支持者の人たちは、「みね子が上京する時、茂がくれた一万円がある!」 と反論したりしますが、休日の実捜しの費用、実家との手紙のやり取りの費用、水着購入代、衣服購入代、銭湯代、などを考えると、既に無くなっていると考える方が、妥当でしょう。

 

 これで、後に感動エピソードとして、みね子は、あの茂の一万円札を、使わないでとって置いた、なんてやったら・・・アンチひよっこを中心に、ネットが荒れるのは必然ですが、さすがに、それはないと思われます。

 

 

 次に、アンチひよっこが批判するネタと言えば、みね子の「おどうさん・・・」の乱用と、増田明美の「副音声的解説ナレーション」でしょうか?

 

 ダブルで要らない、という意見も、少なくないようです。更に、どうでもいいところで、まるで、視聴者に対する、印象操作のようにかかる音楽も、要らない・・・。

 

 

 奥茨城村編でも、向島電機・乙女寮編でも、すずふり亭・あかね荘編でも、みね子は、いつも同じ場所にいて、ドラマじゃなくて、舞台のよう・・・そして、たまに、どこか遠くへ移動する時は、移動シーンなしの「どこでもドア方式」という、手抜き感・・・。

 

 

 登場人物が多過ぎる、しかも、ひとつの場面(画面)に、名前のある主要キャラが十人いて、長話したりして・・・やっぱり、ドラマじゃなくて、舞台のよう?

 

 また、あかね荘の住人は、早苗以外、富や漫画家コンビを始め、さほど、人気がないようです。女性視聴者大望(?)のイケメン枠の御曹司・島谷も、「期待はずれ、好みじゃない」みたいな意見が、ネット掲示板に散見される中、みね子の本命彼氏であることが確実に・・・こんな単純なシンデレラ・ストーリーでは、また、アンチひよっこに叩かれるのは必至ですが、そうならないように、ひと工夫ふた工夫されているに違いないと、私は信じています。

 

 このドラマは、「善人だけしか出てこない、ついでに、実も出てこない」という批判も、未だに多いですが・・・「善人ばかりと思っていたら、唯一、悪人がいた、それは主人公のみね子」という、「ブラックみね子説」も、チラホラ出てきているようです。

 

 ブラックみね子説の根拠になっているものは、「心の中では、結構、毒を吐いている」、「周囲への甘えがひどくなった。図々しいと言っていいレベル」、「親切な綿引、優しい前田を差し置いて、小理屈屋の御曹司に恋心を抱いている」などがあるようです。

 

 みね子の父・実の失踪問題の進展の遅さを叩くのは、もはや、アンチひよっこの入門編のようになっていますが、「いっそ、ドラマ終了まで出てこない方が、リアリティーがあって良い」という、沢村一樹殺しな意見まであり、実の失踪問題は、面白い意見が出やすい、大喜利的なバッシング・ネタになっている感じがします。

 

 

 ひよっこと言えば、「高度経済成長期ノスタルジー」が魅力で、60代70代くらいの人たちにウケているのかと思いきや、その割には、「私は、みね子とほぼ同世代ですが、あの時代の人は、あんなことしません」みたいな批判も少なくなく・・・ノスタルジー・ウケどころか、逆に、「登場人物の心理・行為・会話、全てが現代風」、「あの時代の昭和の美化」などという意見も、根強いようです。

 

 

 ひよっこは、普段のほんわかした雰囲気とは、全く違う話(多くは、視聴者を感心させたり、泣かせたりするもの)が、これといった段階を踏まずに、突然、差し込まれることも少なくなく、「脚本家が、後から思いついちゃった?それとも、新キャストのために継ぎ接ぎした?」と疑いたくなるシーンが・・・それを「ぶつ切り感」と表現するアンチひよっこが、結構、いるようです。

 

 

 ひよっこは、朝ドラの代表的・ヒット作のひとつ「あまちゃん」と似ているが、宮藤官九郎とは、ギャグのセンスが段違い、岡田氏の笑いは滑っているという意見・・・少なくとも、私は、ひよっこあまちゃんが、特に似ているとも思いませんし、宮藤氏のコメディ・センスは、世間一般から、過大評価されているし、岡田氏のコメディ・センスは、過小評価されていると思うのですが・・・確かに、和菓子屋の店主役の三宅裕司は、一人だけ、罰ゲームでもやらされているかのように、滑り倒していると思います。もしかしたら、岡田氏と三宅裕司の間に、何らかの遺恨があるのかも知れません。そうでなければ、ざっと、日本国民二千万人以上が、リアルタイムで観ている中、あの「アンコ椿は恋の花」のしょうもない替え歌を、あそこまで長めに歌わされる、理由がないですから・・・。

 

 

 最後になりますが、ひよっこ支持者と、アンチひよっこの間にある、最も大きな壁・・・それは、岡田氏特有の「青春乙女チック・ワールド」を、受け入れられるか、拒絶するか、だと思いますが、こればっかりは、理屈ではなく、感性の問題なので、話題の回が放送される度に、どれだけ論争が繰り返されても、支持者とアンチが、分かり合うことはない気がします。