詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

最近、ひよっこの視聴率が上がっている、その理由は?

 

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 NHK・朝の連続テレビ小説「ひよっこ」の視聴率は、最近、大台の20%を超えることが普通になったうえ、更に、このドラマの、最高視聴率記録が更新されることも、珍しくなくなってきました。

 

 放送開始から、しばらく、視聴率18%前後~19%前後を推移し、20%を超えることなんて、数えるほどしかなかった、「奥茨城村編」、「向島電機・乙女寮編」、「(初期の)すずふり亭・あかね荘編」と、視聴率アップが顕著になってきた、第17週「運命のひと」、第18週「大丈夫、きっと」とは、一体、何が違うのでしょうか?

 

 最も分かりやすい変化は、みね子を始めとする、谷田部家の人々に限らず、このドラマの視聴者も、待ちに待っていた、「失踪者・実」の登場でしょう。

 

 世津子と同棲(?)していた実と、再会するみね子→彼は記憶喪失→実をめぐって、みね子対世津子→みんなから、同情されるみね子→実をめぐって、美代子対世津子→家族の元へ戻る実→果たして、実の記憶は、いつか、甦る時が来るのか?

 

 このような、これまでのひよっこにはなかった、メロドラマ的・急展開が、万人ウケし、視聴率上昇の、主要な原因となったことは、確かなようです。

 

 主人公のみね子にとって、父親の失踪や、会社の倒産など、いくつかの例外はあるものの、フラットなストーリー、スローな展開で、大した取り柄のない、普通の主人公の、地味な日常生活が、コメディータッチに、時には、泣けるシーンも絡めつつ、群像会話劇として描かれている点が、NHKの朝ドラとして、斬新で面白い・・・なんて思っていたのは、一部の識者だけで、一般の視聴者が求めていたものは、多少、強引でもいいから、リアリティーを損なってもいいから、「今日も話が進んだ、明日は、どこまで進む?何が起きる?」と思わせてくれる、本格派のメロドラマだったようです。

 

 そう言えば、実が見つかる前の、「みね子と島谷の恋と、その終り」が描かれた週も、「身分違いの恋(シンデレラ・ストーリー)」という、メロドラマ的要素の濃いもので、視聴率も良かった・・・やはり、一般の視聴者は、「リアル(日常的)なものより、ドラマティック(非日常)なもの」を、求めているのかも知れません。

 

 所詮、テレビで、ドラマ(フィクション)を観ているだけ、と割り切って・・・。