詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

わろてんか(第63回~第64回)、朝ドラに、昼メロのような話を投入すると、視聴率は上がるという実験に、成功?


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 NHK・朝の連続テレビ小説「わろてんか(第63回~第64回)」は、てんと藤吉夫婦の冷戦状態を、何とか、終結させたい、風太とトキが、一計を案じ、二人を引き合わせ、お互いの思うところを語らせる・・・その頃、藤吉に喝を入れられ、自分たちの甘さに気付いた、古株のストライキ芸人たちは、団吾にも負けない芸人を目指して、色々と思案する中、キースとアサリが、コンビを結成することになる・・・どうしても、お夕と団真のことが気になる、てんは、一人で、彼女が住む団吾の別邸へ、しかし、そこにいたのは、お夕ではなく、団吾だった、てんは、彼の芸に対する哲学を聞き、一流の芸人の心構えは、こういうものかと、怖くなると同時に、感心もする、また、団吾の「お夕は、わしのもんや!」という言葉を聞き、団真とお夕の、ヨリを戻したいと考えていた、てんは、どうしたものかと、困ってしまう・・・家に帰った、てんは、すっかり、仲直りした藤吉と、団吾・団真・お夕の今後について、話をする・・・別れた川の流れは、元に戻るのか、別れたままなのか、それは、このドラマの脚本家、吉田智子氏にしか分からない、という話なのですが・・・ま、これまでのわろてんかのパターンからいって、全てが、てんと藤吉の、思い通りの結果になることは、間違いないでしょう。

 

 そんな、てんと藤吉が夢に描いたものは、全てが現実になる、朝ドラ初の、自己啓発セミナーの教材ドラマ「わろてんか(第63回~第64回)」で、私が気になったことについて、いくつか、指摘してみたいと思います。

 

 

「確かに、結構、前から、電話っぽいものがあることは、気付いていたが・・・ドラマ上、初めて使うのが、ココ?大正時代の話なのに、事務所に電話を設置するエピソードを作らないという、何とも、わろてんからしい、手抜き感!」

 

「風太に不満を訊かれた藤吉の『てんが、オレの、やることなすこと反対して、協力してくれへんさかい』、やることなすことって・・・高い金を払って、団吾を欲しがることに、反対しただけなのに」

 

「トキに不満を訊かれたてんの『これまで一緒にやって来た、芸人さんを粗末に扱って、反対するウチのことまで、追い出そうとするさかい』、確か、わろてんか・公式のあらすじには、藤吉の優しさだったか、思いやりとしてやったことが、てん本人の認識では、『風鳥亭を追い出された』と思っていたなんて・・・」

 

「最初から、藤吉が、てんに、『団吾師匠は、北村笑店の大看板として、いくら金をかけても必要だし、かけた金は、ちゃんと、後で、取り戻せる』、『キースたちのことは、見限ったんやない、このまま、ぬるま湯につかっていたら、ダメになると思ったから、突き放したんや、ちゃんと、今も、あいつらのことは、気にかけている』と、説明して置けば、最初から、ケンカなんかなかったはず・・・そして、どうせ、ケンカさせるなら、1回目のケンカと、発端(欲しがり藤吉の忙しさと、てんの、もっと、家族を大事にして)も、仲直り(周囲の人たちが、隼也を使って、一計を案じる)も、別パターンにするべきだったかと」

 

「風太が、トキに、『結婚や家庭に憧れる前に、相手を探せ』と、からかう場面・・・てん&藤吉の夫婦仲の話も、ベタ&ワンパターンなら、このカップル(になるであろう)二人のやり取りも、ベタ&ワンパターン、脚本家の吉田氏は、恋愛モノが得意って、本当?」

 

「キースたちの、岩さんの孫へのお祝い、たったの5銭・・・おそらく、脚本家は、微笑ましさも意識しつつ、笑わせようとしたのだろうが、二兎追う者は一兎も得ず的な、微妙な仕上がり・・・微笑ましさの部分は、切り捨てて、岩さん『5銭ぽっち、いらんわ!』、アサリ『みんなの気持ちやで!』、岩さん『お前らの気持ちは、たったの5銭で買えるんか?』から始まる、いつものドタバタで、良かったかと」

 

「団吾を、自分の専属にするための、交渉を進める寺ギン、『今、ウチにいるやつらの中から、50人、クビにしたら、金は、どうにでもなります』、確か、このドラマのモチーフの吉本興業は、芸人を月給で雇う(生活の安定を確保してやるという)、新しいアイディアによって、人材が集まり、会社が大きくなっていくと、何かで見た気が・・・ということは、寺ギンは、月給(固定給)で芸人を雇っている訳ではない、つまり、どうせ、お小遣い程度の歩合で、芸人を使っているだけなんだから、何人、リストラしたって、金は、全く、生まれてこないはず!」

 

「芸人四銃士が、身体を鍛えたり、自分たちの芸について考えたり・・・ハッキリ言って、風鳥亭一周年記念公演の後くらいに、挟むべき、エピソードだったのではないかと」

 

「ちょっと、外で物音がしただけで、『誰や!』と騒ぎ出す、団真・・・てんの、彼に対する、優しさを装った、精神的追い込みの成果が、早くも表れた?」

 

「てんが、お夕に会いに行く、しかし、そこにいたのは、団吾、彼は言う『芸人は、ありきたりの幸せなんか、手に入れてはアカン、あいつらが駆け落ちした、あの日から、ずっと、自分に言い聞かせてきたんや』、『あいつは、落語から逃げたんじゃない、一人の女も幸せに出来なかった、最低のやつや』、駆け落ちという行為は、別に、ありきたりではないし、『あいつは、落語から逃げたんじゃない』という台詞に対して、答えがないし、『一人の女も幸せに出来なかった最低のやつ(団真)』の方が、団吾の価値観から言うと、芸人に向いてるのでは?」

 

「団吾が、自分の生けた、花を引き抜き、投げながら、『花は、憎むことから始めよ、言うてなあ、生けた花が美しいのは、ほんの一瞬やで、笑いも同じや』と言った時に、てんが、花を拾って『生けた花が美しいのは、ほんの一瞬ちゃいます、花は、枯れて、人様に見せられない姿になるまで、案外、時間があるものです、笑いも、団真さんも同じやないですか?』とでも言って置けば、団吾の価値観と、てんの価値観の違いの、良い対比になったかと」 

 

「傘を持つ時に、お夕と、少しだけ、手が触れただけで、柄にもなく、照れまくっていた団吾が、てんの前で『お夕は、ワシのもんや!』宣言・・・彼は、二重人格者という設定?」

 

「ところで、わろてんかの視聴率、団吾・団真・お夕の三角関係のお陰で、少し、上がり目だそうな・・・前作の『ひよっこ』でも、感じていたが、朝ドラを観ている視聴者の多くが、取り敢えず、求めているものって・・・実は、昼メロ的展開?」

 

 

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 てん「二人とも、チョコ衛門やなくて、カレー衛門になっとるわ!」 

 

 隼也「てん!オレ、チョコ衛門の時、まだ、生まれてないねん!勝手に、知ってるテイで、話さんといてや!」