詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

やっぱり、史上最低の朝ドラ?「わろてんか」最終回と、物語全体の感想です!


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 NHK・朝の連続テレビ小説「わろてんか」の、最終回を観た感想です。

 北村笑店に所属する、芸人と裏方が、一緒になって、「青空喜劇・北村笑店物語」を演じるという最終回は、アイデアとして悪くないし、その仕上がりも、亀井や四郎の奮闘により、及第点だったかも知れませんが、これまでが「朝ドラ悲劇・北村仰天物語」だっただけに、もしかしたら、今回のコントを、好意的に受け取った視聴者より、シニカルな感想を抱いた視聴者の方が、多かったかも知れません。


 例えば、二十歳前の葵わかなが、50過ぎのてんを演じるのは、無理がある、と批判され続けてきたのに、最終回で、50過ぎのてんが、十代のてんを演じることになるとは・・・最初の駆け落ちのシーンで、観客から「ババアが駆け落ちかよ!」とヤジられて、てんが「ババアちゃいます。まだ、十代です、乙女です!」と反論するような、やり取りでもあれば、まだ、良かったのですが・・・こんなことからも、脚本家が、各キャラの今現在の年齢や姿を、きちんと、想像出来ずに、話を作っていることが、よく分かる気がします。


 また、この最終回のコントが、一定の成功を収めたのだとしても、「このドラマの序盤・中盤のあらすじなんて、たかだか、10分超のコントで、まとまる程度のものです」、「(寄席30軒がゴール)、その後の話は、ただのオマケです」と、自らを揶揄する結果にしか、なっていないような・・・。


 藤吉という男も、生きているうちは、「ホーホケキョ!」、「チョコ衛門」、「カレー衛門」など、ロクな芸がなかったのに、幽霊になったら、「大した繋がりもない、若い男に、憑依をする」という、凄い芸を会得・・・ここまで、何でもアリだと、ヒロインが、40になっても、50になっても、全く老けないことくらい、別に、どうでもいいことなのだと、きっと、誰もが、気付かされたことでしょう。


 老ける老けないの話で言えば、最終回ではないですが、おそらく、60前後の伊能が、チンピラに絡まれた、てんを助けるために登場し、昔と同じように、格好良く、やっつけるシーンがありましたが、あそこで、伊能がチンピラにやられて、でも、周囲の人たちに助けられて、てんに「さすがの伊能さんでも、若い頃のようには、いきまへんな」と笑われてしまうパターンこそ、リアリティーであり、コメディーというものだと思うのですが、このドラマの脚本家は、ハッキリ言って、「死」や「老い」というものを、とにかく、軽んじる傾向があるようです。


 序盤では、てんの兄・新一の死が、ナレーションで片付けられたり、てんの父・儀兵衛が、いきなり死んでたり(49日経過してたり)、「ヒロインの家族なのに、ひどい扱い!」と、ネットなどで話題になっていましたが、その後、完全に行方不明となった、てんの祖母や、藤吉の姉と比べれば、あれで、随分、マシな死に方だった、と言えるのかも知れません。


 てんの母・しず、藤吉の母・琢子、伊能の母・志乃、文鳥なども、おそらく、すでに、亡くなっている設定でしょうが、そこには、全く触れず・・・逆に、安来節乙女組の都は、ドラマ上、ずっと、放置されていたのに、突然、登場した、とわから「空襲で・・・」と、台詞一発死・・・こんな、今更な付け足しをするよりも、主要キャラ(の母たち)の死を、ちゃんと考えるべきだったかと・・・。


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 話は変わって、朝ドラ「わろてんか」全体の印象について、いくつか、短く、語ってみようと思います。



「結局、このドラマは、吉本せいのフェイクニュースでしかなかった?」

「結局、ヒロインのキャラは、女太閤というより、ただの専業主婦に過ぎなかった?」

「変化球『ひよっこ』とは違う、『朝ドラの直球・ど真ん中』と思わせておいて、ただの大暴投!」

「あらゆる作品のイメージ泥棒で、オリジナリティーなし」

「尺が余ったから、足してみただけの、史実エピソード」

「結果ありきのストーリー展開(必要な段階を踏まなくても、ヒロインは、必ず成功する)」

「話に詰まったら、取り敢えず、省略して(時間を飛ばして)、次の話」

「描き損なった過去は、かなり後のシーンで、台詞の付け足しをして、描き切ったことに」

「誰とだって、偶然、会えるし、誰だって、アメリカに行ける」

「曖昧なキャラ設定で、ストーリーの都合により、キャラの性格が変化するのは、日常茶飯事」

「脚本家は、『普通だったら』が分かっていない(意図して、セオリー破りをするのではなく、ありとあらゆる、セオリーそのものが、全く分かっていない)」

「脚本家は(ついでに、制作統括も)、コメディーのセンス、ほぼゼロ!」

「ホームドラマとは思えない、希薄な家族・親族関係」

「恋愛モノを得意にする、脚本家とは思えない、ベタな台詞と展開(まるで、大昔のメロドラマ)」

「お笑いと商売(北村笑店)の話、恋愛の話、家庭の話、そのバランスを間違えている」

「落語と漫才と、その他のエンターテイメントを、どう扱うかのバランスも間違えている」

「たいがい、余計なナレーション」

「毎度、同じような展開」

「毎度、同じような台詞」

「毎度、冴えない、週タイトル」

「脇役とエキストラの間くらいのキャラが少ない(だから、芸人が300人いて、名前があるのは十数人、寄席が30軒あって、名前がある従業員は、せいぜい10人)」

「絶対に、エキストラが必要なところで、どういう訳か、エキストラを使わないシーンの多さ!」

「相手を説得するのに、まともな論理がない。しかし、何故か、説得は成功・・・そういうケースが、一度や二度ではない、というより、ほぼ全て、そんな感じ」

「明治・大正・昭和(戦後間もなく)の話なのに、このドラマのキャラは、少子化・晩婚化、終盤は高齢化(若い世代のキャラを、作り損なっている)」

「金銭の話が多いのに、勘定の方は、いつも合っていない」

「時代を無視した、ありえない台詞、いくらでも」

「他に言い方がありそうな、下品な台詞、いくらでも」

「日本語として、間違っている台詞、いくらでも」

「マーチン・ショウに限らず、同じ言葉が、一話の中で、執拗に」

「今週と先週の、辻褄が合わない」

「昨日と今日の、辻褄が合わない」

「今している、長い台詞の辻褄が合わない」

「制作統括(あるいは脚本家)が、ヒットの法則を踏まえて、やってみた作戦は、いつも空振り(いつだって、番組の内容と、視聴率の上下は、無関係)」

「笑いの神様、序盤で逃亡、いつまで経っても、帰って来る気配なし!」



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 最後に、これは筆者の、勝手な想像ですが、朝ドラ史上最低の呼び声も高い、この「わろてんか」の出来に、満足している人は、監督・出演者も含めた、全制作スタッフの中で、制作統括と脚本家の、2人だけしか、いないのではないでしょうか?


 一応、朝ドラとして、及第点の視聴率を取ったことで、客観性を見失っているとしか思えない、浮かれた発言をしているのも、大勢の関係者がいる中で、この2人だけのようですし・・・。