詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

今更ですが、安部公房「壁(第一部、S・カルマ氏の犯罪)」を、お勧めする(感想を語る)記事です!


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 朝、目を覚ましたら、自分の名前が失われていることに気付いた、主人公の「ぼく(S・カルマ)」は、病院の待ち合い室にあった、スペインの雑誌に載っていた「荒野の風景」を、自分の空虚な胸の中に、吸い込んでしまう・・・更に、動物園へ行ったぼくは、今や、自分の空虚な胸の中にある、荒野の風景を歩いていたら、似合うであろう、ラクダのことが、とても気になる・・・ぼくは、グリーンの服を着た、2人の私設警官の大男に捕まり、不当としか思えない、裁判を受けることになるが、それは、被告のぼくが、名前を取り戻し、法的に、判決可能になるまで、永遠に繰り返されるという、そのうえ、たとえ、名前を取り戻したとしても、その罪状から、死刑判決は免れないらしい・・・私設警官の監視下、家に帰った、ぼくは、自分の身の回りの品(名刺・上着・ズボン・帽子・眼鏡・ネクタイ・万年筆・手帳)たちが、革命(マニフェストは、死んだ有機物から、生きている無機物へ!)について、語り合う姿を見て、驚く・・・ぼくは、「成長する壁調査団」の団長・ドクトル氏と、副団長のユルバン氏(ぼくのパパ)に、ぼくの胸の中で成長する、壁の謎を解くため、巨大な解剖刀で、胸を開かれようとしていた、自分の服たちが、ギプスのようになり(これも、革命の一環?)、ぼくを抑え込んでいる状態で・・・ぼくのある機転により、解剖刀で胸を裂かれる危機から逃れ、ドクトル氏と、ユルバン氏は、「こりごりした」、「危険だ」、「科学の限界」などの言葉を残し、去って行く・・・残されたぼくは、胸の中の荒野にある、成長している壁のせいで、もう、人間の姿ではなく、一枚の壁そのものに変形していた・・・。

「見渡す限りの荒野です。その中でぼくは、静かに成長してゆく、壁なのです」



 上記の文章は、一応、あらすじを書いてみたつもりでしたが、正直、上手くいきませんでした。


 タイピストのY子、マネキンのY子、2人が半分ずつ合わさったY子、金魚の目玉、ロール・パン氏のことも、全く、触れていませんし・・・。


 また、この作品は、書いてある文章が、比喩なのか、事実なのかを判別することが難しかったり、単純に、作者の想像力に、読み手の想像力が、ついていけない場面も少なくなく、あらすじを書くのも(全体を理解しようとするのも)、各場面を理解しようとするのも、容易ではありません。


 ただ、この作品の面白さは、作者の意図を、完全に理解するところにあるのではなく、あり得ない世界(殆ど、悪夢)に散りばめられた、安部公房独自の「論理的展開(妙に説得力のある、論理の飛躍)」と、バチアタリなまでに「乾いたユーモア」の両輪を、素直に、楽しめればいいのだと思います。



 最後になりますが、この「壁」という作品は、内容だけ見れば、明らかに「悲劇」です。


 しかし、作者の安部公房は、おそらく、この暗い作品(主人公が、名前を失うことから始まり、完全に自己を失う話)を、決して、悲劇としてではなく、「喜劇」として、時折、自分でも、笑いながら、書いていた気がします。


 もしかしたら、この「壁」という小説が、「20世紀・日本の前衛小説」で終わらず、21世紀になっても、日本を飛び越え、世界の前衛小説として、君臨出来る理由も、そのあたりにあるのかも知れません・・・。


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