詩と寓話とシュールレアリスム

タイトル通りのテーマです。シュールな詩と寓話を書きます。たまに、ブログの話やテレビの話、日常生活にあったことを書こうとも思います。

わろてんか・スピンオフ「ラブ&マンザイ」の各話あらすじと、「つまらない」という感想です!


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 NHK・朝の連続テレビ小説「わろてんか」の、スピンオフ・ドラマ「ラブ&マンザイ」を観た感想です。


 この「ラブ&マンザイ」は、第1話から第4話に連なる、オムニバス形式で、各話の主役による漫才で始まり、今作の裏主人公とも言える(全話に登場)、歌子(枝元萌)の、「愛の格言」によって終る、キッチリした構成にはなっているものの、「額縁」が少し立派なだけで、描いてある絵の質の方は、完全にアマチュアなので、とても、誉められたものではありません。


 今作に与えられた舞台は、歌子の店「マンマン」と、その側の通りだけ、1話あたりに使える、レギュラー出演者は、3人から5人、そんな、予算もつかない、役者も集まらない中、一体、誰が、わろてんかのスピンオフを制作することに、固執したのか、筆者には、全く理解出来ませんが・・・その出来に関して、率直に言わせてもらえば、いっそ「お蔵入り」にした方が、全ての関係者(特に、役者陣)にとって、幸せだったような気がします。


 各話、スケジュールの空いている役者を、短い拘束時間で、パッパッと撮影したことが、バレバレの、いかにもな、やっつけ仕事を、全国に放送されてしまうのは、役者として、明らかに、マイナスでしょうから・・・。


 そういう意味では、藤吉(松坂桃李)と伊能(高橋一生)、歌子の夫・万丈目(藤井隆)は、この罰ゲーム(スピンオフ)に、参加しないで済んで、本当に、幸運だったと思います。




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 それでは、各話ごとの、短いあらすじと感想です。




 第1話「風太のジェラシー」
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 自分が贈った口紅を使わないトキに、不満と疑問を抱く風太が、たまたま、歌子の店の前を通った時、手を握り合う、トキとキースの姿を目撃してしまう・・・風太は、2人のことが気になって、仕方なく、自分が来たことがバレないように、わざわざ、女装してから、店内へ・・・てんやわんやがあった後、トキがキースと手を握っていた理由も、トキが風太の贈った口紅を使わない理由も、判明し、風太がトキに抱いていた誤解こそ、とけるものの、このカップル(風太&トキ)の関係が、現時点で、進展することはなかった。


 愛の格言「愛は万年、亀の如し」



 感想。本編にも多々あった、風太とトキの、小中学生並みの恋愛エピソードを、もう、本編だけで、お腹いっぱいなのに、スピンオフでも、似たような話・・・男が女装しただけで、笑ってもらえると思っている、時代錯誤なコメディー・センスに加え、トキが、キースの手を握っていたのは、「ツボを押していただけ」、トキがキースに「好き好き好き」と言っていたのは、「キースって、10回言って。じゃ、ここ(唇)は英語で?答え、キッスではなく、リップ!」と、「10回クイズをしていただけ」という、視聴者を愚弄するのも、程々にして欲しい内容・・・歌子の愛の格言の後の、「大人の愛は、ゆっくり、育んでいくのがよろし」という台詞も、一体、この第1話のどこに、「大人の愛」が描かれていたのか、謎(ふざけてる)としか、言いようがない!




 第2話「リリコのボディーガード」
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 タチの悪いファンから、おかしな手紙をもらうなど、スターとして、人気があるゆえの、不安な日々が続く、リリコ・・・そんな彼女を見て、護衛を買って出る四郎、初めは断られていたが、彼が、間違って、名前も書かずに出した手紙が、気持ち悪がられたことから、改めて、彼女の護衛を任されることになる・・・ある時、歌子の店にいた、リリコと四郎の前に、3人組の男が現れ、彼女に絡み出したので、四郎が守ろうとするも、殴り倒され、3人組の1人に、大事なアコーディオンまで奪われる・・・四郎は「オレには、アコーディオンより、大事なものがあるんや!」、「リリコちゃんには、指1本、触れさせんど!」と叫び、再び、3人組に立ち向かっていく(最後は、歌子に助けてもらったものの、リリコは、自分に対する、四郎の思いに、心を打たれる)。


 愛の格言「愛はまことに影法師」



 感想。第1話に引き続き、第2話も、本編で、何度も見せられたものを、スピンオフで、また、見せられているような気分になる話・・・リリコの護衛となった、四郎が、過敏な反応をして、毒味など、しなくてもいいことをする、一連のシーン、全く笑えなかった、もちろん、リリコの「御不浄!」も・・・リリコに絡んできた、3人組の男に、殴られて、床に倒れた状態の四郎が、「リリコちゃんには、指1本、触れさせんど!」と、宣言する前に、男の1人が、リリコを、しっかりつかんでいるシーンがあるのは、狙い?それとも天然?




 第3話「楓の恋のラビリンス」
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 漫才作家としての仕事が上手くいかず、占いにハマり出した楓を、心配した歌子が、アサリと組んで、彼女の目を覚まそうとするが、色々あって、楓は、「アサリこそ、運命の人」と思い込んでしまう・・・アサリの方も、楓から、そう思われることに、満更でもなく、彼女に、理想の結婚像(家庭観)の話をしたり、ネックレスをプレゼントしたりするが・・・結局、今の楓にとって、「恋人は仕事」でしかなかった。


 愛の格言「この世に完璧な相手はいない、完璧な愛があるだけ」



 感想。この第3話は、楓も、アサリも、最後、元の関係に戻ったようで、2人の間に、まだ、淡い恋愛感情が、残っているようにも描いている・・・しかし、言うまでもなく、本編では、2人の間には何もなく、最終回の時、推定だが、楓は50過ぎ、アサリは60過ぎ、双方、独身のまま終っている・・・つまり、この第3話は、本編に全く繋がらない話でしかない(独立した話として観たところで、全くつまらない話でしかない)。


 また、与謝野晶子の短歌を、アサリが「恋に火照った身体を、ギューッと抱き締めもせんと、人生なんて語って、寂しないんか?」と、まるで、欲求不満のキャリア・ウーマンの短歌であるかのように解釈し、与謝野晶子の信奉者であるはずの、楓まで同調、その挙げ句に、楓は「やわ肌のあつき血汐」を、仕事への情熱と、強引解釈・・・このわろてんかのスピンオフを受け持った、脚本家(鹿目けい子氏)は、作者(吉田智子氏)と同じく、頭のネジが、何本か、抜けている人物らしい。




 第4話「勘当のフィナーレ」
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 歌子の店で、てんの妹・りんと、隼也の嫁・つばきが、偶然、出会う・・・そこへ、妊娠中のつばきを心配し、隼也がやって来た、その直後には、りんと会う約束をしていた、てんまで現れる・・・勘当した息子・隼也を見て、店を出ようとする、てんだったが、歌子が、出入り口の内側の、ドア・ノブを壊してしまい、みんなで、店内に閉じ込められてしまう・・・最初は、お互い、無視し合っていた、てんと隼也だったが、てんが、産まれてくる孫のために、安産祈願の腹帯を準備していたこと、隼也が、産まれてくる子供の名前は、親の名前をもらおうとしていたことが分かり、親子の間にあった緊張(意地の張り合い)も、次第に、緩和されていく。


 愛の格言「親思う心に勝る親心」



 感想。本編のことを考えれば、この時期に、てんと隼也が再会している話なんて、明らかに余計だろう。隼也が、戦争へ行く直前に、勘当された身でありながら、家族(つばき&藤一郎)を預けるために、覚悟して、てんに会いに行ったことに、意味がある訳で、その前に、既に親子は再会していて、しかも、少し和解しているというのは、スピンオフとしては「でしゃばり過ぎ」の、単なる、「本編殺し」でしかない。


「勘当のフィナーレ」という、タイトルも、隼也は、この後も、勘当されたままなのに、フィナーレとは、おかしい。そして、この「感動と勘当」をかけた、駄洒落タイトルは、これっぽっちも、おかしくない。


 ドア・ノブが壊れて、店内に閉じ込められる話も、いちいち、「あんなはずでしょう、こんなはずでしょう」と、突っ込むのも、バカらしく・・・てんと隼也が、一緒にいなきゃいけない理由を、特に、物理的な問題にする必要はなかった。


 てんと隼也が、向かい合って、ヒョットコとオカメの面をかぶり、2人が「こんなんで、話せるか!」と突っ込む、笑えないシーンがありましたが、「話せるか!」を、「笑えるか!」にすれば、それは、そのまま、役者陣の「脚本家に対する、抗議の声」に、早変わり・・・。




 それでは、最後になりますが、今作「わろてんか・ラブ&マンザイ」の感想を、短く、格言風に、まとめてみます。


「この世に、完璧な脚本家などいない。この世にいるのは、完璧に、頭のネジが抜けてしまった、脚本家ばかり」